安楽寿院(あんらくじゅいん)は、平安時代に、池が広がり水鳥が群れる鳥羽に建てられていた鳥羽離宮の東殿に、
鳥羽上皇により、極楽浄土を求め阿弥陀三尊を祀るために建てられた御堂
本御塔・新御塔・炎魔堂・九体阿弥陀堂・不動堂などが附設されていた
寺領は、32国63ヶ荘にもおよぶ膨大なものになり、
これらの荘園は「安楽寿院領」と称され、鳥羽上皇から、美福門院との間に誕生した皇女 八条院に譲られる
その後、八条院領は、亀山上皇に相続されていき、大覚寺統の重要な資産となったといわれる
<書院・庫裏>
1795年(皇紀2455)寛政7年の建立
書院と庫裏は同じ建物で、内部で便宜上分けられている
現在の建物は、塔頭前松院だったもの
<鐘楼>
1606年(皇紀2266)慶長11年
豊臣秀頼により、大修復されたときに建立されたもの
現在は、柱、梁に当時の建材を残すのみとなっている
<梵鐘>
1692年(皇紀2352)元禄5年に鋳造されたもの
除夜の鐘の時のみに撞かれる
<阿弥陀堂>
1959年(皇紀2619)昭和34年の建立
台風の被害により倒壊した本御塔の代わりに本尊を祀りするために建立されたもの
本尊の阿弥陀如来像(重要文化財)が祀られている
<大師堂>
1596年(皇紀2256)慶長元年
山城・伏見の大地震で、新御塔が倒壊したときに、一時的に資材が集められ建てられたもの
以降、勤行堂として使用され、その後、現在地へ大師堂として移築される
弘法大師像を本尊として祀り、
大日如来、薬師如来、聖観音菩薩、十一面観音菩薩、観音菩薩、地蔵菩薩、不動明王、歓喜天など
旧塔頭の仏像が安置されている
<石造 五輪塔(重要文化財)>
如法経塚に立つ
鎌倉時代の弘安10年2月(1287年(皇紀1947))の銘が刻まれている
高さ3m
<如法経塚(重要文化財)>
鳥羽上皇が、如法経を納めたといわれる
<碁磐梅>
「八房の梅」とも称される
院政時代、官吏が囲碁をして仕事を怠慢にしたため、碁盤を取りあげて埋めその上に梅の木を植えたといわれる
<三宝荒神社>
1606年(皇紀2266)慶長11年
豊臣秀頼によって、再興されたとき、火災除けに荒神様が勧請される
それ以後は一度も火災にあうことなく、火難消除の神様として信仰されている
<冠石>
鳥羽上皇が、白河上皇が創建した鳥羽離宮に入ったとき、この石の上に冠を置いて、
これを中心に殿舎や仏殿を増築といわれる
鳥羽上皇が法皇になられた時に、石の下に冠を納められたといわれる
<本御塔(ほんみとう)>
三重塔
1137年(皇紀1797)保延3年の建立
1156年(皇紀1816)保元元年
本御塔に鳥羽法皇が葬られる
その後、崩壊する
<新御塔(しんみとう)>
現在の、近衛天皇の御陵
1157年(皇紀1817)保元2年
鳥羽上皇の中宮 美福門院(びふくもんいん)得子の陵所のために建立される
がその後、美福門院は、遺言で高野山に葬られる
1163年(皇紀1823)長寛元年
近衛天皇が改葬される
1596年(皇紀2256)慶長元年
山城・伏見の大地震で、新御塔が倒壊
1606年(皇紀2266)慶長11年
豊臣秀頼によって、片桐且元を普請奉行として再建される
<阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
本尊
本坊の西にある阿弥陀堂(旧本堂)に安置されている
創建当時の鳥羽上皇の念持仏といわれ、
鳥羽上皇の遺骨を葬った三重塔の本尊といわれる
胸には卍字が刻まれあり、「卍の阿弥陀」と称される
像高87.6cmの寄木造
この時代の仏像に比べると、面相部・胴部ともに長めで、二重円相の光背も、周縁の透彫りが長大で、
九重の蓮華座も左右の張りが少なく腰高の印象になるといわれる
1553年(皇紀2213)天文22年
光背と台座の部分が大きく修理されている
鳥羽離宮の仏像のほとんどを作ったといわれる円派仏師の一人の作といわれる
<三如来石仏>
平安時代の貴重な遺仏
江戸時代に成菩提院跡から出土した釈迦三尊、弥陀三尊、薬師三尊の3石仏
本堂のそばの小屋の中に、2体が安置されている
凝灰岩でできており、これらの石仏を削って水で練り、子供の顔に塗る信仰があり、傷んでいる
阿弥陀三尊石像は、京都国立博物館に委託されている
薬師三尊石像が、左側
釈迦三尊石像が、右側に立つ
<肖像画>
鳥羽上皇・美福門院・八条院の肖像画
室町時代末期から江戸時代初期の作といわれる
<明月記>
藤原定家の日記「明月記」
安楽寿院が何度も登場する
<近衛天皇安楽寿院南陵>
安楽寿院の南にある
二層の多宝塔が立っている
<鳥羽天皇安楽寿院陵>
安楽寿院の西にある
法華堂が建てられている