安祥寺(あんしょうじ)は、山科の北部、琵琶湖疏水沿いにある寺院
仁明天皇の娘で文徳天皇の母親 藤原順子が創建し、定額寺となる
紀伊高野山宝生院兼帯所にもなり「高野堂」とも称せられる
琵琶湖疏水沿いの付近は桜の名所
<安祥寺橋>
琵琶湖疏水が流れている
<表門>
<鐘楼>
表門の東南にある
<本堂>
桁行3間、梁間3間、入母屋造、桟瓦葺、向拝一間付
1817年(皇紀2477)文化14年
現在の本堂が再建される
<地蔵堂(観音堂)>
本堂手前の東側
方3間、宝形造桟瓦葺、向拝一間付
天井の格間には極彩色の花卉の絵が描かれている
<大師堂>
本堂手前の東側
桁行3間、梁間2間、寄棟造本瓦葺、向拝一間付
<多宝塔跡>
五智如来座像が安置されていた
地蔵堂の北の一段高い造成地にあり、石積基壇・礎石・石階段・縁石・塔前灯篭などが残っている
1759年(皇紀2419)宝暦9年の再建
1906年(皇紀2566)明治39年11月に焼失
<青龍権現社>
本堂の西北にある
龍神さんが祀られている
雌雄の龍が天に昇る姿を苔で表現した庭園「蘚苔蟠龍(せんたいばんりゅう)」があり、この地を守っているといわれる
御利益:金運・開運・仕事運・勝負運
<十二所神社>
<木造 五智如来坐像(5躯)(国宝)>
多宝塔に安置されていたもの
大日如来を中心とする金剛界の五仏
安祥寺創建時の制作といわれる
本尊 金剛界大日如来坐像は、高さ約5尺2寸・台座高約3尺8寸
他の4仏も、高さ約3尺5寸〜3尺6寸もある大きなもの
1906年(皇紀2566)明治39年11月の火事の直前に京都国立博物館に寄託されている
2019年(皇紀2679)令和元年7月23日 国宝に指定される
<木造 十一面観音菩薩立像(重要文化財)>
本堂に安置されている本尊
奈良時代の作
<四天王像>
本堂に安置されている
<地蔵菩薩像>
地蔵堂に安置されている
<蟠龍石柱>
中国 唐時代のもの
京都国立博物館に寄託されている
<五大虚空蔵像(重要文化財)>
東寺観智院に安置されている
恵運が唐から請来したもの
<安祥寺資財帳(重要文化財)>
南北朝時代のもの
京都大学によりにより所蔵されている
<安祥寺伽藍縁起資財帳>
867年(皇紀1527)貞観9年
恵運により作成される
安祥寺の来歴・恵雲・仏像・経典・建物・仏具・財物・文書などが記されている
東寺により所蔵される
<安祥寺上寺跡(あんしょうじかみでらあと)>
所在地:山科区御陵沢ノ川町
現在の安祥寺の北方約1.7kmの国有林山腹の標高約330mあたりの「観音平」と称される尾根の上にある
平坦地は、東西約40m南北約60mで、急斜面で谷に落ち込んでいる
当時は、礼仏堂・五大堂・東西僧房・庫裏・浴堂などがあったといわれる
現在の上寺跡には、
中央の礼仏堂の基壇跡(東西約21m・南北約15m)と、北方に五大堂の基壇跡、東僧坊跡(東西約4.2m・南北16.2m)、
西僧坊跡(東西約4.8m・南北約16.2m)、方形堂跡(東西約5.7m、南北約6.3m)、が残り、
各々の軒廊礎石跡、平安時代の瓦などが出土している
上寺跡の北部の峰に、経塚などが残されている
<安祥寺下寺跡>
1993年(皇紀2653)平成5年
JR山科駅付近の発掘調査により、9世紀後半の下寺の木炭木槨墓の一部、副葬品の龍紋様の白銅鏡片、
乾漆製品の一部、銭貨などが発見された
木炭木槨墓は、地面に長方形の穴(墓壙)を掘り、木棺の底面、木槨と木棺の周囲に木炭が敷き詰められていた
周りには副葬品が納められ、封土されていた
<木瓜(ぼけ)>
木に棘(とげ)があり、小さく鮮やかな赤い花をつける
3月上旬〜4月上旬に咲く花の名所
<恵運(えうん)>
平安時代前期の真言宗の僧
入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・円珍・宗叡)の一人
通称は「安祥寺僧都」
798年(皇紀1458)延暦17年、京都に生まれる
東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学ぶ
824年(皇紀1484)天長元年、東寺の実恵(じちえ)に師事し、灌頂を受ける
842年(皇紀1502)承和9年、最澄らと共に唐に渡り、五台山・天台山を巡拝し、青竜寺の義真に灌頂を受ける
847年(皇紀1507)承和14年、儀軌・経論・仏菩薩祖師像を持って帰国、八家請来目録を呈上する
848年(皇紀1508)嘉祥元年、安祥寺を開く
861年(皇紀1521)貞観3年、東大寺大仏修理落慶供養の導師を務める
869年(皇紀1529)貞観11年、死去する
<藤原順子>
第54代 仁明天皇の女御、第55代 文徳天皇の母親
「五条后」と称された
809年(皇紀1469)大同4年、藤原冬嗣と藤原美都子の娘として生まれる
仁明天皇の東宮時代に後宮に入る
827年(皇紀1487)天長4年、道康親王(後の文徳天皇)を生む
833年(皇紀1493)天長10年、仁明天皇の即位に伴い、女御となり従四位に叙される
850年(皇紀1510)嘉祥3年、文徳天皇の即位により皇太夫人となる
854年(皇紀1514)斉衡元年、 皇太后となる
文徳天皇の崩御の後、東大寺戒壇諸僧から大乗戒、天台座主円仁により菩薩戒を受ける
861年(皇紀1521)貞観3年、落飾、受戒する
864年(皇紀1524)貞観6年、太皇太后となる
871年(皇紀1531)貞観13年、死去され、安祥寺の北の山腹の後山階陵に葬られる
<宗意>
平安時代後期の僧で、真言宗小野流三派の一つ安祥寺流(安流)の祖
安祥寺下寺の中興の祖となる
1074年(皇紀1734)承保元年、生まれ
1148年(皇紀1808)久安4年、死去