毘沙門堂(びしゃもんどう)は、山科盆地の北端にある、七福神の一つ毘沙門天を本尊とする寺院
春の樹齢150年の毘沙門枝垂桜、秋の紅葉の見所
8月上旬は、百日紅の名所
本堂、唐門
1666年(皇紀2326)寛文6年の創建
華麗な建築装飾が施されており、日光東照宮の手法とも同様である
<仁王門(におうもん)>
石段の上にある本堂への表門
1666年(皇紀2326)寛文6年の創建
阿吽の仁王像(1665年(皇紀2325)寛文5年の建立)が護っている
<勅使門(ちょくしもん)>
檜皮葺きの総門
陛下の行幸・勅旨の代参・当門跡門主の大事以外は一切開門されない
1686年(皇紀2346)貞享3年
宸殿と共に第三世 一品公辨法親王が、後西天皇より拝領したもの
1693年(皇紀2353)元禄6年、移築完了
<宸殿(しんでん)>
狩野益信筆の障壁画116面の山水画がある
1686年(皇紀2346)貞享3年
御所にあった後西天皇の旧殿を第三世 一品公辨法親王が拝領
1693年(皇紀2353)元禄6年、移築完了
<霊殿(れいでん)>
阿弥陀如来を中央に、歴代の影像や位牌が安置されている
天井には、狩野永叔主信の作の雲龍図が描かれている
見る角度によって眼の向きや顔が変化し、四角の雲の色彩が違えられている
1653年(皇紀2313)承応2年
御所の御霊屋として建立された建物
1686年(皇紀2346)貞享3年
第三世 一品公辨法親王が、後西天皇より拝領した
<晩翠園(ばんすいえん)>
江戸時代初期の池泉回遊式庭園
谷川の水を引き滝を造り、「心字」の裏文字を形取った池、亀石、千鳥石、座禅石などが配置されている
<毘沙門枝垂桜>
宸殿前の枝垂桜(シダレザクラ)
樹齢約150年の高さ約10m、枝張り約30mの壮観な桜
現在は、5代目
その他、桜の木が約40本ある桜の名所
<一切経堂>
<地蔵尊>
仁王門手前の手水舎の横にある
<高台辨財天>
豊臣秀吉の大政所が大阪城内で念じていた辨財天
第三世 一品公辨法親王が、巡錫の砌り、庶民福楽のために所望せられて当地に勧請された
<三社>
山王権現・御霊神社・稲荷明神
<極楽橋>
毘沙門堂の境内入口にある小さな石橋
後西天皇がこの地に来られたとき、「橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域である」と感嘆され、
「極楽橋」の名前を賜ったことに由来しているといわれる
<毘沙門天>
本尊の秘仏
高さ、二寸二分(約6.7cm)
789年(皇紀1449)延暦8年
伝教大師 最澄が下出雲路で自ら作ったといわれる
延暦寺根本中堂の本尊 薬師如来の余材で刻まれたといわれる
商売繁盛・家内安全にご利益があり、一月初寅参りには福笹が授与される
御前立には「萬暦八年」と中国の年代が墨書されており、謎とされている
<洞院公定日記(重要文化財)>
<注大般涅槃経 巻第十四(重要文化財)>
<篆隷文体(重要文化財)>
<宸殿(しんでん)襖絵>
狩野益信筆の116面の山水画
<板戸の衝立の鯉>
円山応挙の筆
<雲龍図>
霊殿の天井に描かれている守護龍
狩野永叔主信の作
眼の向きや顔が見る角度によって変化し、四角の雲の色彩が違えられている
<山科毘沙門堂観桜会>
4月8日に近い日曜日
筝(琴)の生演奏や、お茶席が設けられる
<山科義士まつり>
12月14日
山科区より四十七士が選ばれ、赤穂浪士の討入り当時を再現する「義士行列」が行われる
表門隊・裏門隊・幼稚園児による四十七義士・遥泉院などの女人列・祇園一力亭での様子など、
総勢約300人の奉仕により再現される
<鎮将夜叉法>
伝教大師 最澄が唐より請来された行法
天台五箇大法の一つとして毘沙門堂だけに伝わる秘法
<日記「明月記」>
藤原定家の日記
桜の名所として記されている