墨染寺(ぼくせんじ)は、伏見区の墨染の地にある、琵琶湖疏水の西側、大和街道の南沿いにある寺院
墨染桜の伝説がある墨染桜(すみぞめざくら)(3代目)があり、この付近の地名「墨染」の由来になっている
<本堂>
「桜寺」「鬼子母神」の扁額が掛かっている
<庫裏>
屋根瓦には「桜」の文字が彫られている
<日蓮立像>
日蓮聖人の立像
<墨染桜>
白い濃淡がある花弁が小さく単弁で、茎・葉の部分が青く、墨染色のように見える
墨染色:薄墨色、喪の色、濃い灰色
貞観寺の旧地にあったもので、現在は3代目
<染井吉野桜>
<黄桜>
<八重桜>
<手洗鉢>
本堂前にある
「墨染井」と刻まれている
江戸時代中期の1768年(皇紀2428)明和5年 、2代目 中村歌右衛門による寄進
<太閤秀吉画像>
長谷川等伯の筆、豊臣秀吉の自賛がある
細川藤孝が、「あはれてふ色香をさとる桜木の 花の面影墨染にして」と詠んだ
<墨染桜の伝説>
平安時代初期、891年(皇紀1551)寛平3年1月13日
堀河の公卿 太政大臣 藤原基経が亡くなり、この地に葬られる
上野岑雄(かみつけのみねお)は、死を悼み、桜に向かって哀傷歌を詠む
詞書「堀河の太政大臣 身まかりける時に 深草の山にをさめてけるのちによみける」
「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今和歌集)
それに感応して、薄墨色(墨染色)の花を咲かせたといわれる
豊臣秀吉が、細川藤孝より聞いた「墨染桜の伝説」に感銘を受け、顕彰するために貞観寺を再興させたといわれる
「墨染桜」「墨染」の地名の由来となった
<墨染遊郭>
門前には、東海道の旧道が通っており、
江戸時代初期の元禄年間(1688年~1704年)には、この付近に遊郭があり賑わっていた