佛光寺(ぶっこうじ)は、高倉通仏光寺通にある浄土真宗佛光寺派の本山
越後に配流されていた浄土真宗宗祖 親鸞聖人が、京都に帰り創建したのが由来
西本願寺の南隣に建つ興正寺の由来にもなっている
浄土真宗ならではの本堂(阿弥陀堂)と御影堂とが並んで建つ形式
<阿弥陀堂(本堂)>
間口15.6m、奥行21.25m、単層入母屋造本瓦葺
内陣の須弥壇上に本尊の阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子と法然上人坐像
両余間に竜樹・天親など真宗七高僧の坐像と、後醍醐天皇の位牌が安置されている
通常の浄土真宗の寺院では、七高僧像は画像で祀られているが、佛光寺では彫刻の木像が祀られている
佛光寺派の末寺では、本堂の左余間(向かって右側)に七高僧の絵像が祀られているが、右余間に坐像が安置されている
1904年(皇紀2564)明治37年の再建
<大師堂(御影堂)>
間口26.5m、奥行33.1m、間口10.2mの向拝をつけた単層入母屋造本瓦葺
内部の須弥壇上に親鸞上人坐像、両脇壇に中興了源上人の坐像と前住上人の絵像が安置されている
両余間に九字と十字の名尊号が掲げられている
1884年(皇紀2544)明治17年の再建
<阿弥陀堂門(本堂門)>
切妻造で前後に唐破風をつけた銅版葺の四脚門
1879年(皇紀2539)明治12年の建立
<大師堂門(御影堂門)>
扉や脇、腰の各所を彫刻で装飾されている切妻四脚門
<鐘楼>
<勅使門>
<玄関門>
<久遠院> 中坊
<長性院> 西坊
<明顕寺>
<昌蔵院> 角坊
<大善院> 南坊
<高林庵>
<教音院> 奥坊
<光薗院> 新坊
<阿弥陀如来立像>
本尊
寄木造彫眼 高さ99.5cm
通肩に着た納衣に盛上彩色と載金とで精微な袈裟の文様があり、両手で来迎印を結んでいる
温和な顔と長い脚が特徴とされる
平安時代末期の作
了源上人の山科仏光寺造立勧進帳にも記されている
<木造 阿弥陀如来立像(重要文化財)>
光薗院に安置されている
<木造 阿弥陀如来立像(重要文化財)>
山内寺院の大行寺に安置されている
快慶の作
<木造 聖徳太子立像(重要文化財)>
阿弥陀堂に安置されている聖徳太子の像
寄木造
体内を内刳し、眼に玉眼が嵌入され、髪は美豆良に結い、右手にシャク左手に柄香炉を持ち、袈裟と横被をつけて立つ少年の姿
父親の用明天皇を看病されたときの姿といわれる
高さ94.5cm
1320年(皇紀1980)元応2年
了源上人が山科に念仏の道場を建てるとき、聖徳太子像を作られたことが勧進帳に記されている
像内に「元応二年正月二十八日造立」の文書と、了源上人の師である第四世 了海上人の遺骨包紙がある
仏師 尾張法印 湛幸の作
<木造 七高僧>
親鸞聖人が、浄土の教えを伝える印度・中国・日本の尊き僧侶たちを七人選び七高僧として敬った
第一祖 龍樹菩薩・第二祖 天親菩薩・第三祖 曇鸞大師・第四祖 道綽禅師
第五祖 善導大師・第六祖 恵心僧都 源信・第七祖 源空上人
通常の浄土真宗の寺院では、七高僧像は画像で祀られているが、佛光寺では彫刻の木像が祀られている
佛光寺派の末寺では、本堂の左余間(向かって右側)に七高僧の絵像が祀られているが、右余間に坐像が安置されている
<光明本尊>
西通寺(滋賀県浅井町)の所蔵
名号と、釈迦と弥陀の二尊が描かれ、後ろから光明が輝く本尊図
光明本尊とは、畳一枚ほどの大型の絹布の中央に「南無不可思議光如来」の九字の名号が書かれ、
その両側に、インド・中国・日本の3国の高僧と聖徳太子の像が描かれたもの
親鸞聖人の死後、南北朝時代にかけて多く作られ、仏光寺派の末寺に残されていることが多い
1356年(皇紀2016)文和5年
法橋良円の作
<紙本着色 一流相承系図(重要文化財)>
縦42cm、横491.4cm
了源上人の頃、念仏にいそしみ、共に浄土へいくための仲間意識から、その道場に所属する門徒の肖像を描いて名簿代わりとしたもの
師弟関係を明確にするため、系図の形をとっているので、「絵系図」と称される
了源上人が、本願寺 存覚の指導を受けて製作したのが始まりといわれ、最も原初的なもの
「序題(巻頭の趣意書)」や「巻頭の趣意書」「像主の法名」は、存覚自身の筆
<修正会> 1月1日〜3日
<中興上人御祥忌> 1月7日
<源空上人御祥忌> 1月24日
<涅槃会> 2月15日
<聖徳太子御祥忌> 2月21日
<春期彼岸会> 春分の日を中心に前後3日間
<春法要> 4月2日 親鸞聖人の御誕生会
<盂蘭盆会> 8月14日から16日
<秋期彼岸会> 秋分の日を中心に前後3日間
<御正忌報恩講> 11月21日から28日 宗祖 親鸞聖人のご命日法要
<歳暮法要> 12月31日
室町時代と、明治時代には、女性の門主が生まれた
<第九世 了明尼公>
了源の妻
<第二十七世 真意尼公>
幕末から明治維新の時期に、蛤御門の変(禁門の変)で焼失した諸堂を再建した