頂妙寺(ちょうみょうじ)は、鴨川の東、二条通を下ったところにある日蓮宗の本山
戦国武将 細川勝益の寄進により、日祝上人によって開山された日蓮宗京都十六本山の一つ
俵屋宗達ゆかりの寺で、「牛図(重要文化財)」を所蔵し、お墓がある
大仏師 運慶の作といわれる持国天像と毘沙門天像が安置されている仁王門に由来して名づけられた「仁王門通」に面している
<山門>
1836年(皇紀2496)天保7年の建立
仁王門通に面している
<大本堂>
境内中央にある
一塔両尊四士像、文殊菩薩像、普賢菩薩、四天王像、日蓮聖人像らが安置されている
1840年(皇紀2500)天保11年
第35世 勝心院 日亮聖人のとき、現在の本堂が50年ほどかかり再建される
1996年(皇紀2656)平成8年
第82世 鶴林院 日淳上人のとき、縁祖了義院日達聖人二百五十遠忌にあたり、記念事業として本堂が大改修される
<仁王門>
山門の北、大本堂との間にある
運慶・快慶師弟の作といわれる持国天像(向かって右)と毘沙門天像(向かって左)が安置されている
東山天皇より賜った「聞法山」の山号の扁額と、
豊臣秀吉による宗門布教の許状の扁額が掲げられている
頂妙寺の前の仁王門通の名前の由来となったといわれる
1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火により全焼したとき、信者が二天王尊像の御首のみを引き抜き、焼失を免れた
1789年(皇紀2449)寛政元年
第29世 玄収院 日賢上人のとき、千人講を作り浄財を集め、持国天像・毘沙門天像の修復、楼門の再建がされた
<祖師堂>
仁王門と大本堂の東側(左手)にある
祖師堂中央には、日蓮大菩薩、日朗菩薩、日像菩薩の三菩薩が安置され、
左方北側には、頂妙寺開山 妙国院 日祝聖人、第二祖 天安院 日言聖人、第三祖 佛心院 日珖聖人が祀られ、
右方南側には、中山法華経寺初代住持 常修院 日常聖人、開山開基 細川勝益、豊臣秀吉が祀られている
1788年(皇紀2448)天明8年
天明の大火により全焼
1801年(皇紀2461)享和元年の建立
第32世 了光院 日近聖人のときに再建される
2012年(皇紀2672)平成24年
日祝聖人第五百遠忌にあたる記念事業として祖師堂の大修復、日祝聖人御尊像の改修がされる
<祖師像>
大本堂の前に立つ
立正安国を導く日蓮聖人の銅像
<妙見堂>
仁王門の西側(右手)にある
北辰妙見大菩薩と、
放生池があった名残から護法竜神、吉祥弁財天が祀られている
<書院客殿>
本殿の裏(北側)にある
<浄行菩薩堂>
妙見堂の隣に祀られている
<大黒堂>
大本堂の手前、境内東側にたつ
中央に、最澄の作といわれる大黒天が祀られている
左に、三十番神尊像が祀られています
2018年(皇紀2678)平成30年
台風21号により、屋根瓦が破損、板壁がはがれ、白壁にひびが入り、その後、修復される
<鬼子母神堂>
祭神:子安鬼子母尊神
境内西側にある
江戸時代後期に、勝心院日亮上人により開眼された
左手に愛子を抱き、右手にザクロをかかげている
1934年(皇紀2594)昭和9年9月21日
室戸台風により鬼子母神堂が倒壊し神具などが壊滅するが、子供を抱えた神像は宝冠の一部に傷ついただけだった
1939年(皇紀2599)昭和14年
日亮上人の百年忌に再建される
<秋山自雲堂>
祭神:秋山自雲霊神(しょうざんじうんれいじん)
痔病平癒のご利益がある神さんであり、日蓮宗の護法神の一神
秋山自雲は、摂津国川辺郡小浜浜(兵庫県宝塚市小浜)生まれの岡田孫左右衛門の法号
14歳で、江戸霊厳島の酒問屋 岡田孫左右衛門に奉公し、後に養子となって岡田孫左右衛門の名を継ぐ
38歳のときに、悪質な痔病にかかり、様々な治療を施すが効果がなく、
落飾して浅草本性寺の題目堂にこもり、懺悔滅罪の唱題修行に専念する
1744年(皇紀2404)延享元年9月21日
完治せず、45歳で死去する
死に際に「自分の死後、痔病に苦しむ人がお題目を唱えたならば、必ずその人を守護し平癒させる」と誓願を立てる
その後、古い友人が痔病を患い、本性寺で祈念したところ、2ヶ月ほどで完治したといわれる
これにより、人々が岡田孫左右衛門の墓前や本性寺の題目堂に参拝して、信仰されるようになる
後に、京都東山の東漸寺にも、痔病平癒の神さんとして祀られた
<威徳善神>
境内北側の本堂の東側に立つ
1794年(皇紀2454)寛政6年の建立
<鐘楼>
境内西側の真ん中にある
釣鐘は、寛文年間(1661年~1673年)頃の鋳造
午前6時の開門、午後8時の閉門にあわせ鐘が突かれてきている
大みそかには除夜の鐘を撞くことができる
1677年(皇紀2337)延宝5年5月28日
梵鐘が、第14世 蓮性院日相上人のとき、曽谷家を功徳主として鋳造されたと刻字されている
天明の大火を免れ、創建当時のものともいわれる
<菊神稲荷社>
大本堂の裏(北側)にある
祭神:最上位大経王菩薩(菊神稲荷大明神)
「大経王」とは、法華経のことで、釈迦如来の変化した姿とされる
社殿の上部に、民衆を救うために日蓮聖人が示された十界具足の大曼荼羅を掲げ、
菊神稲荷大明神が、法華経の守護神であり、法華経そのものであるとの教えを示している
天明の大火からの復興に尽力していた住職 妙雲院 日敬上人の枕元に神々しく輝く姿の神さんが現れ
「我は、ここより約1町(約100m)南に下がったところで雨露にさらされている菊神稲荷なり、災禍から早く復興させたいならば、
我を祀って当地域と頂妙寺の守護神とせよ、そうすれば火災より守り災禍を逃れさせよう」との夢告を受け、光は南に消え去った
日敬上人は、早々、示された場所にいき、川の中に埋もれ、光り輝くご神体を持ち帰り、現在の地に祀った
その後、日敬上人は、荘厳な伽藍をもつ頂妙寺に復興することができた
火難除け、困難克服の守護のご利益があるとされる
菊神稲荷大明神の縁日:2月初牛、11月日蓮聖人御会式に併せて行われ、法要と御火焚が行われ、
百日間の修行を終えた僧侶による水行が行われる
<お墓>
山門をくぐって右側にある
室町時代の壇越の武将 細川勝益
連歌師 里村昌休、里村昌叱、里村昌琢
絵師 俵屋宗達のお墓と伝えられるもの
茶人 鷹司有隣軒
武将 足利直義の妻 本光院殿
など
<廣池千九郎先生假寓之趾>
妙雲院の前に石碑がある
<構え跡>
1536年(皇紀2196)天文5年
延暦寺衆徒、南近江の守護六角氏らによる法華宗洛内二十一本山を焼き討ちした天文法華の乱に備えた構え跡
山内に塔頭が8院ある
妙雲院、本立院、善立院、真浄院、善性院、大乗院、法輪院、真如院
<妙雲院>
<本立院(ほんりゅういん)>
<善立院>
<真浄院>
<善性院>
<大乗院>
<法輪院>
<真如院>
<紙本墨画 牛図 双幅(重要文化財)>
<京都十六本山会合文書(京都府指定有形文化財)>
<二天王尊像>
<大黒天尊像>
<版木 頂妙寺版法華経>
<蓮紙織画(はすししょくが)>
<豊臣秀吉の許状の扁額>
<平和記念慰霊法要>
<壱万遍唱題修行>
<鬼子母尊神祭>
<妙見宮祭>
<春季彼岸会法要>
<秋季彼岸会法要>
<二天王祭>
<大黒天祭>
<安土宗論>
1579年(皇紀2239)天正7年
織田信長の命により、安土城下浄厳院で、浄土宗と日蓮宗との間で宗論が行われた
頂妙寺三世 日珖(にちこう)が臨んで敗れる
日蓮宗は、詫状二通を書かされ、以後の布教を禁じられる
織田信長による日蓮宗弾圧のため策謀だったといわれる
<新洞仏教会>
北は二条通、南は三条通、東は東大路通の東、西は川端通に囲まれた新洞小学校学区にある寺院群
55寺院がある