大圓寺(だいえんじ)は、亀岡市の城下町西部の西町にある寺院
亀山城城主 羽柴秀俊(小早川秀秋)が息子の菩提を弔うため毎年、米2石を寄進した亀山五ヶ寺の一つ
戦国時代
1553年(皇紀2213)天文22年
専誉秀光(せんよしゅうこう)(周公上人)を招いて開山される
13代室町幕府将軍 足利義輝の帰依を受け、この地域の学問所として多くの学僧が集まり影響力を持った
1578年(皇紀2238)天正6年
創建当初は、保津川の北側にあったといわれ、
明智光秀が亀山城を築城するときに合わせ、穴太道の要衝の現在の地に移転する
1592年(皇紀2252)文禄元年
亀山城城主 羽柴秀俊(小早川秀秋)が息子の菩提を弔うため毎年、米2石を寄進した亀山五ヶ寺の一つとされる
1643年(皇紀2303)寛永20年
火事により焼失する
1699年(皇紀2359)元禄12年
火事で多くの堂宇が焼失する
江戸時代中期
1710年(皇紀2370)宝永7年
現在の本堂や山門などが再建される
<本堂>
<薬師堂>
<五重宝塔>
<庭園>
<裏門>
<ごくらく橋>
<亀山城 外堀跡>
亀山城内外は、内堀・外堀・惣掘の三重のお堀と御土居で仕切られていた
ここ穴太口付近は、亀山城の南西の二重目の外堀跡
城下町から穴太寺方面の出入口になっていた
<亀山薬師(亀岡市指定文化財)>
薬師堂に祀られている鋳鉄製 薬師如来像
平安時代末期から鎌倉時代初期に造られたと推定される
現在の大本 天恩郷の月宮宝座あたりに祀られていたといわれ、
亀山城本丸の築城のときに、追分町の相原家に移され、後に大円寺に奉納された
関西では、鋳鉄製の仏像は非情に珍しく、貴重なものといわれる
亀山薬師と同じ鋳型で造られたとされる鉄仏が、ドイツのケルン東亜美術館と、念仏寺(右京区山ノ内)にある