大光明寺(だいこうみょうじ)は、相国寺の塔頭の一つ
後伏見天皇の皇后が、後伏見天皇の菩提を弔うために創建し、伏見宮家や足利義尚の菩提所
<峨眉山の庭>
山門を入った所にある枯山水庭園
白砂が広がり、石、刈り込みの老松、緑の苔、白い塀からなる
峨眉山は普賢菩薩の道場とされ、禅の修行の厳しさを表しているといわれる
<心の字の石庭>
本堂の前庭
「心」の字を石組で表わしている
<中門>
山門近くの「峨眉山の庭」から「心の字の石庭」の間にある
<墓地>
伊藤若冲のお墓
<普賢菩薩>
本堂中央下から参拝できる本尊
創建当時のもの
京都十三仏霊場めぐり第四番霊場
<伊藤若冲の絵画>
<和漢朗詠>
室町幕府9代将軍 足利義尚の筆
<雲錦蒔絵硯箱>
<広義門院(こうぎもんいん)西園寺寧子(さいおんじやすこ)>
1292年(皇紀1952)正応5年
左大臣西園寺公衡の長女として生まれる
第93代 後伏見天皇の皇后となる
北朝の玽子内親王・光厳天皇・景仁親王・光明天皇の母親となる
深く仏教に帰依され、夢窓疎石によって禅学を修する
1339年(皇紀1999)延元4年/暦応2年
後伏見天皇が崩御されると、落飾し尼となる
1357年(皇紀2017)正平12年/延文2年
65歳で死去される
「玉葉集」「新千載集」「続千載集」などに歌が載っている
<京都十三仏霊場>
故人の中陰や年忌法要のときに本尊とされる十三体の仏や菩薩
足利義政が、歴代将軍の供養のために、十三仏をお祀りしたことが十三仏信仰となり広まったといわれる