大雄院(だいおういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺東海派の塔頭
妙心寺境内の東北部にあり、桂春院の南隣にある
尾張 石河家の香華所
創建当時は、伏見城にあった石河屋敷の建物が移築された
2003年(皇紀2663)平成15年
客殿・書院・庫裡・表門が、京都府指定文化財に指定されている
<方丈(客殿)(京都府指定文化財)>
単層、寄棟造
創建時の方丈は、珍しい重層だった
1726年(皇紀2386)享保11年
開基 石河光忠百年遠諱により、現在の方丈(客殿)と書院が再建される
江戸時代末期の蒔絵師 柴田是真筆の襖絵がある
<書院(京都府指定文化財)>
1726年(皇紀2386)享保11年
開基 石河光忠百年遠諱により、現在の方丈(客殿)と書院が再建される
円山応挙の門人 土岐済美筆の山水の襖絵がある
<山門(京都府指定文化財)>
創建当時のもの
<庫裏(京都府指定文化財)>
現在の建物が、江戸時代末期に改築された
<客殿南庭園>
妙心寺では珍しく池がある池泉鑑賞式庭園
岩組みはほとんどなく、苔で覆われている
番傘形の灯篭などがある
<客殿南庭園>
スギゴケ・スナゴケの苔地の枯山水庭園
蓮華寺型燈籠など3基が立つ
<土蔵>
置屋根造
<東司(とうす)>
1726年(皇紀2386)享保11年に建てられた御手洗
<釈迦如来像>
方丈(客殿)に祀られている本尊
<客殿襖絵72面>
1830年(皇紀2490)文政13年/天保元年
江戸時代末期から明治初期の漆芸家・蒔絵師の柴田是真(しばたぜしん)の筆
画隅に署名「柴令哉写」がある
24歳のとき、四条派をより深く学ぶため京都へ遊学したとき、修業の終わりに大雄院にて描かれたもの
その後、浮世絵師 歌川国芳が、柴田是真の扇絵に感動して弟子入りしたといわれる
室中に、中国 唐代の武将を題材にした「郭子儀図(かくしぎず)」16面
檀那の間に「山水図」16面
礼の間に、向日葵などが描かれた「四季花卉図」16面
衣鉢の間に、愛らしい猿が描かれた「滝猿図(群猿図)」10面
書院の間(雅松図の間)に「雅松図」13面、部屋の西側壁右下部に「令哉(れいさい)」の落款がある
<書院襖絵>
円山応挙の門人 土岐済美(ときざいみ)の筆の「山水画」4面
曽我霞蕭筆の「山水人物図」2面
法橋洞玉筆の「赤壁図」
<石河光元像>
1601年(皇紀2261)慶長6年の妙心寺58世 南化玄興(なんかげんこう)の賛がある
<十一面観音図>
室町時代の作といわれる
<海北友松筆「人物図」>
<長沢芦雪筆「寒山拾得図」>
<蚕繭紙(さんけんし)書画130点ほど>
妙心寺30代管長 松山寛恵や、素描友禅作家 村田竹仙など、高僧、文人の作品がある
蚕が、繭型ではなく平面に紡いだ「平面繭」で100%絹紙となる
住職 石河正久が、30年ほど研究を重ね、蚕の交配を続け平面状に糸を吐く「石河蚕」を生ませる
<襖絵プロジェクト 客殿 千種の花の丸襖絵>
明治宮殿(東京)の「千種の間」の「花の丸大天井」に描かれていた柴田是真による113種の草花の花の丸
後世の絵師たちが描く花の丸の手本となっていた
その天井画は、戦火で失われ、是真直筆の下絵(東京藝大大学美術館蔵)をもとに花の丸図を襖絵として復活させるプロジェクト
1面に、2,3種の花が円内に鮮やかな色彩で描かれ、周囲を鳥・虫などが飛んでいる
2017年(皇紀2677)平成29年
日本で唯一人の宮絵師である安川如風により発足
2020年(皇紀2680)令和2年9月
花の丸図43種・襖18面が完成する