大龍院(だいりゅういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺霊雲派の塔頭
妙心寺境内の西側の参道の中程、大庫裏の西の東西参道を西入った北側にある
<旧大嶺院庭園>
妙心寺山内唯一だった池泉廻遊式庭園があった
江戸時代の茶匠 藤村庸軒(ふじむらようけん)の作庭
1799年(皇紀2459)寛政11年
「都林泉名勝図絵」に名庭として記されている
その後、荒廃した
<方丈庭園>
1978年(皇紀2638)昭和53年
太嶺院と合併したときに、作庭家 重森完途(しげもりかんと)により、方丈の背後に庭園が整備された
正面に築山があり、東北隅に枯滝組がある
多くの立石と、東西に細長い池があり、土橋が架けられている
<関山国師洗脚石(せんきゃくいし)>
庭園高台にある
「洗脚関山石」とも称される
妙心寺開山 関山慧玄が、天龍寺の夢窓疎石を訪問するとき、必ず油掛地蔵尊のところで、前に流れる川で足を洗い身を清めていた
天龍寺の僧侶がこの事に気づき、洗いやすいようにと川の畔に石を移して置いた
その後、天龍寺塔頭 南芳院に移され保存された
江戸時代後期
妙心寺派管長 今川貞山により、天龍寺から大龍院に移された
<墓地>
江戸時代後期の儒学者・漢詩人・勤皇家 小野湖山(おのこざん)のお墓