大聖寺(だいしょうじ)は、室町幕府の足利義満の花の御所跡に立つ「御寺御所(おてらごしょ)」と称される尼門跡寺院
同志社大学の西に立つ
正親町天皇の皇女の入寺のとき、尼門跡第一位の綸旨(りんじ)を受け、光格天皇の皇女まで歴代24代の内親王が入寺した
(第2位は宝鏡寺、第3位は曇華院)
明治維新以後は、内親王に代わり公家華族の息女が門跡を継いでいる
宸翰(しんかん)や、調度品・御所人形・衣裳などの宝物が残されている
<本堂>
1943年(皇紀2603)昭和18年
東京青山御所より移築されたもの
<宮御殿>
光格天皇の皇女の入寺のときに、千両を下賜され、御所風に建立されたもの
<大聖寺庭園(だいしょうじていえん)(京都市指定名勝)>
境内の南端の土塀沿いにある
東西約30mの御所風の優美さを持つ枯山水庭園
江戸時代中期
1697年(皇紀2357)元禄10年
明正天皇の崩御の後、河原の御殿から資材を移して築かれたものといわれる
<石標>
「花乃御所」と記された室町幕府の足利義満の花の御所跡を記すもの
<山門>
<狩衣雛(かりぎぬびな)>
男雛は、紫の狩衣姿、女雛は、白小袖に緋袴の上に紅の袿(うちき)をつけた袿袴姿
狩衣は、貴族の日常着で、常に烏帽子をかぶっている
男雛のお歯黒、女雛のお歯黒に置眉などの化粧の細部まで、有職故実に則った有職雛
江戸時代後期
光格天皇内親王 普明浄院宮のもの
<新婚雛>
男雛は、若い公卿の服装を正確に表した直衣姿、女雛は、小袿姿
江戸時代中期の有職雛の典型
<市松人形>
大聖寺第25代門跡 樋口慈網尼が可愛がったといわれ、
頬がふっくらとしており「弥生さん」と称される
<大正天皇の袴の人形>
大正天皇の「着袴の義」のときの袴を拝領した等身大の人形が置かれている
<大歓喜寺>
大聖寺門跡の歴代の門跡が祀られている菩提寺
皇女尼僧たちの命日には、宮内庁によって非公開の正辰祭が行われている