大統院(だいとういん)は、建仁寺の塔頭一つで、建仁寺の南東の隅にたち、別格地とされる
古澗慈稽(こかんじけい)や日政(にっせい)など、名僧を輩出した
<本堂>
<耕雲庭>
本堂の南の市松模様の庭
ツツジの築山を背景に、格子状に白砂と苔が置かれている
建仁寺派管長小堀泰厳老大師によって「耕雲庭」と命名された
2009年(皇紀2669)平成21年
北山安夫の作庭
<五畝画伯之碑>
金沢生れの画家 高瀬五畝(たかせごほ)の石碑
<幽霊画>
写実派 円山応挙の筆とされる
(世の中に多くさんある円山応挙によるとされる幽霊画のほとんどは贋作といわれる)
円山応挙が、足のない幽霊画を最初に描いたとされる
「四方睨み」という、どこから見ても目が合う画法で恐怖感を高めたといわれる
寛政庚戌(1790年(皇紀2450)寛政2年)と記されていることから、円山応挙の晩年の作とされる
千本出水の玉蔵院にあった出水の七不思議の一つとされ、
数十年前から行方不明になっていたのが大統院で発見されたといわれる
<骸骨之図>
円山派の鈴木松年の筆
<蛤蜊観音図>
蛤蜊から観音菩薩が出てくる様子を描かれている
独特のユーモラスな画風の白隠慧鶴の筆
<赤絵十二支四神鏡文皿(あかえじゅうにししじんきょうもんざら)>
江戸時代末期の陶芸家 奥田頴川の作
磁器で創った円形の皿を、中国の青銅器の鏡に見立てて、
後漢時代に造られた倣古鏡の意匠文様のように絵付けされた陶皿
奥田頴川の死後、奉納されたといわれる
<雪嶺永瑾像 自賛一幅>
狩野派による画の掛け軸
雪嶺永瑾(せつれいえいきん)は、建仁寺第245世
1519年(皇紀2179)永正16年
法弟の求めによって、自ら着賛されている
<墨梅図 心田清播賛>
絵師は不詳
室町時代の臨済宗五山文学僧 心田清播の着賛