大通院(だいつういん)は、JR嵯峨野線 花園駅の北にある臨済宗 大本山 妙心寺東海派の塔頭
妙心寺境内のほぼ中央、西側の参道中程の東側、大庫裏の北隣、麟祥院の南隣、春光院の東側向いにある
<本堂>
須弥壇中央に、曲彔(きょくろく)(椅子)座った等身大の彩色木像 湘南宗化像が祀られている
<霊屋(おたまや)>
墓地の中央にある
宝形造、総ヒノキ造、檜皮葺
1633年(皇紀2293)寛永10年
大通院2世 湘南宗化により、養母である土佐藩初代藩主 山内一豊の正室 見性院17回忌にあたり、見性閣(現在の霊屋)が建立された
山内一豊夫妻の無縫塔2基(1m)、夫妻の位牌(1m)、夫妻の晩年の掛軸画像が祀られている
以後、山内家の菩提所になる
<庭園>
大通院2世 湘南宗化の作庭
1799年(皇紀2459)寛政11年
「都林泉名勝図会」に「当山第一にして二に双ぶものなし」と記されている名庭
紀州 善通寺の夾山和尚からや、各地から集めた奇樹奇岩が多い
明治維新の廃仏毀釈の悪策により破壊された
<墓地>
大通院2世 湘南宗化のお墓
土佐藩藩主 山内家の重臣のお墓
山内一豊の家人 田中孫作のお墓
<笠の緒の文>
1600年(皇紀2260)慶長5年6月
山内一豊は、徳川家康に従って会津 上杉景勝の討伐のため大坂から出陣する
山内一豊の留守中、石田三成からの家康打倒の勧誘状の文箱が届く
山内一豊の正室 千代(見性院)は「留守中に心配することなく家康への忠誠を尽くように」との書を記し、
他見されないように手紙を紙縒(こより)にして、笠緒に織り込み、家人 田中孫作に、文箱とともに持たせる
田中孫作は、途中、強盗に襲われ衣類・刀・脇差などを奪われるが、下野諸川で山内一豊の軍に追いつき役目を果たす
山内一豊は、密書を読み、文箱の封を切らず、そのまま家康に差し出した
徳川家康は、千代(見性院)の機転に感心し、山内家は加増になり、土佐藩初代藩主となる
田中孫作の子孫は、山内家の家臣として仕えた