大善寺(だいぜんじ)は、六地蔵めぐりの根本道場
<地蔵堂>
本尊の六丈阿弥陀如来と小野篁像が安置されている
<表門>
外環状線路に面して建つ
<本堂>
宝永年間(1704年〜1711年)
勧修寺の宸殿を下賜されて移築したもの
<鐘楼>
山門近くに建つ
徳川2代将軍 徳川秀忠の娘 東福門院により寄進されたもの
天井は、菊と三つ葉葵の紋章が極彩色で描かれている
<木像地蔵菩薩立像(重要文化財)>
地蔵堂に安置されている
852年(皇紀1512)仁寿2年
小野篁が、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から六体の地蔵尊像を刻んだもの
<六地蔵めぐり>
8月22日〜23日
「六地蔵縁起」(1665年(皇紀2325)寛文5年)によると
平安時代初期
849年(皇紀1509)嘉祥2年
小野篁が、大病にかかり仮死状態となる
その時、地獄において、猛火の中で罪びとを救っている生身の地蔵菩薩に出会う
地蔵は「現世に戻って、人々に、犯した罪によって地獄の苦しみを受けることを知らせ、地蔵菩薩に帰依するように教えよ」と言われる
852年(皇紀1512)仁寿2年
蘇生した小野篁は教えに従い、木幡山(こばたやま)の一本の桜の大木から六体の地蔵尊像を刻み、
木幡の里(現在の当 大善寺)に安置した
1157年(皇紀1817)保元2年
都では疫病が流行し、
後白河天皇は、都の出入り口に六体の地蔵尊を祀るよう平清盛に勅命する
勅命を受けた平清盛は、京洛の入口6カ所にそれぞれ六角円堂を建て1体ずつ分置し、西光法師に命じて供養させた