檀王法林寺(だんのうほうりんじ)は、川端通三条通にある浄土宗の寺院
袋中良定上人が、琉球王国より帰国後に創建した浄土宗の寺院の一つ
<本堂(京都市指定有形文化財)>
1738年(皇紀2398)元文3年
住持第12世 貞雅良妙上人(りょうみょうしょうにん)が、本堂再建願を奉行所に届け出て大規模な修復に着手する
1750年(皇紀2410)寛延3年頃に完成する
北西に位置をずらして移築されて面積や高さが拡張され、屋根を瓦葺に、扉を唐戸にする
内陣は須弥檀が拡張され、来迎柱を建て極彩色の彫刻が施された
堂外の側壁にも細やかな彫刻などによる装飾がされている
<庫裏>
住持第10世 良空上人(りょうくう)の時代に創建される
1703年(皇紀2363)元禄16年12月
玄関や方丈が新築され、現在のような瓦葺の屋根になったとされる
古鬼瓦にこの年代の銘が刻まれている
1730年(皇紀2390)享保15年、1749年(皇紀2409)寛延2年
住持第12世 貞雅良妙上人によって、大規模な増改築がおこなわれて単層切妻造瓦葺となる
このときの棟札が残る
2006年(皇紀2666)平成18年
大屋根大修復の記念に、沖縄の守り神「シーサー」を庫裏玄関の小屋根の上に祀られる
<観音堂>
建仁寺の興雲院に移されていた十一面観音菩薩立像を12世 良妙上人が譲り受け、堂を建立し安置された
1937年(皇紀2597)昭和12年
現在の建物が再建される
<主夜神堂>
本堂の北にある
1738年(皇紀2398)元文3年からの事業で建立された
<龍神堂>
自在な神通力を持ち、晴雨を司り、民衆や仏法を日照りや水難から守る加茂川龍神が祀られている
加茂川龍神立像が安置されていたが、現在は、本堂に移されている
1986年(皇紀2646)昭和61年
現在の建物が再建される
<楼門>
1888年(皇紀2548)明治21年
22世 譲誉玄亮上人(じょうよげんりょうしょうにん)によって建立される
楼内には、縮冊一切経・十六羅漢像・大日如来像が安置されている
四隅には、四天王立像が安置されている
門上部には、山階宮晃親王の御筆による「朝陽山」の扁額を南に、「望西楼」を北面に掲げられている
<西門(川端門)(京都市指定有形文化財)>
薬医門
「赤門」「開運門」とも称される
1766年(皇紀2426)明和3年
主夜神尊に信仰の厚かった有栖川音仁親王の寄進により建立された
そのため屋根に菊紋の獅子口の瓦が置かれている
1974年(皇紀2634)昭和49年に修復が行われた
<三条門>
1888年(皇紀2548)明治21年
22世 譲誉玄亮上人によって建立
1988年(皇紀2648)昭和63年に修復が行われた
<御霊屋(みたまや)2棟(京都市指定有形文化財)>
1639年(皇紀2299)寛永16年1月
袋中上人入滅にともない、在家信者の舛屋受教(ますやじゅきょう)によって建立された御廟
1637年(皇紀2297)寛永14年に亡くなられた二世 團王上人の御廟も同時に建立された
卵型の石塔に墓碑を刻み収められている
<大銀杏>
龍神堂の横に立つ水害を防ぐ神木
樹齢三百年を超え、戦前の台風により倒木したが、現在その切り株が残っている
境内の地蔵菩薩に安産を、この銀杏に授乳を祈願する慣習がある
<鳥之供養塔>
京都食鳥組合を中心に全国の関係者により鶏など食鳥鶏卵が供養されてる
高山義三の書
大きさ:高さ約200 x 幅約1400 x 奥行約90cm
1957年(皇紀2617)昭和32年11月建立
<念仏万霊塔>
1678年(皇紀2338)延宝6年
八世 東暉上人(とうきしょうにん)により「不断念仏会」の百余名の結縁を記して建てられた
東暉上人は、開山袋中上人の最後の直弟子で、袋中の念仏信仰、曼陀羅信仰を受け継ぎ、
盛んに念仏会や曼陀羅講を開いたといわれる
<袋中上人御親筆大名号碑>
本堂東にある
1936年(皇紀2596)昭和11年
25世 良哉上人(りょうさいしょうにん)により、4mを超える料紙に書かれた袋中上人名号を、巨大石に刻印し、建立された
<石仏 数体>
楼門の東側に安置されている
大きなものは江戸時代につくられた3mほどの地蔵菩薩
<花崗岩 阿弥陀像>
石仏の向かって左にある
室町時代中期につくられたもの
阿弥陀の両脇に観音菩薩・勢至菩薩の梵字、上部には阿弥陀をあらわす梵字が刻まれた珍しいもの
徳山盛長による寄進
<墓地>
松尾芭蕉の書の師 北向雲竹のお墓
円山応挙の高弟 山口素絢のお墓
<阿弥陀如来立像>
本尊
像高96cm
恵心僧都 源信の作といわれる
袋中上人に帰依した桧物屋善左衛門によって寄進された
二世 團王上人により本堂が建立されたとき本尊として祀られる
<木造 阿弥陀如来坐像(京都市指定有形文化財)>
本堂西側に安置されている
像高81.2cm
檜材に漆箔仕上げ
1114年(皇紀1774)永久2年
白河法皇の御願として建立された蓮華蔵院のものとされる
<四天王立像>
楼門内に安置されている
1888年(皇紀2548)明治21年
22世 譲誉玄亮上人(じょうよげんりょうしょうにん)が、楼門を建立したときに購入したもの
大阪和泉の興善寺ものといわれる
持国天像:東方、像高232.4cm、鎌倉時代から南北朝時代のもの
広目天像:西方、像高228.2cm、平安時代後期のもの
増長天像:南方、像高236.9cm、鎌倉時代から南北朝時代のもの
多聞天像:北方、像高243.2cm、鎌倉時代から南北朝時代のもの
<十一面観音菩薩立像>
欅の寄木造、漆箔がほどこされている、像高275.0cm
平安時代後期のもの
大和長谷寺の観音菩薩像と同木同作で仏師春日の作とされる
1771年(皇紀2431)明和8年
12世 良妙上人(りょうみょうしょうにん)が、大和竹林寺の本尊から建仁寺興雲院に供養されていたものを譲り受ける
<絹本著色 熊野権現影向図(重要文化財)>
熊野信仰の厚かった奥州の一老女と一行四人が、那智浜の宮で紫雲虚空の中に湧現した本宮証誠殿の
阿弥陀如来(熊野権現)を拝む様子を描いたもの
大きさ:縦114.0cm、横51.5cm
1329年(皇紀1989)元徳元年の作
上部に円覚寺住持南山士雲の賛が記されている
<紙本金地著色 日吉山王祭礼図四曲一双(重要文化財)>
日吉大社の春の大祭のうち、右隻に4月3日の榊の神事、左隻に4月の二の申の日に行われる船祭が描かれている
大きさ:縦168.0cm、横370.0cm
日吉山王祭礼を主題とした最古の作例とされる
慶長期の狩野派の絵師の作
<袋中筆ニ祖対面図>
右に中国浄土教の祖善導大師、左やや下方に法然上人、上部に善導大師の第十八願の釈文を書写し、
中央下部に袋中上人の署名と花押がある
大きさ:縦43.4cm、横26.2cm
1648年(皇紀2308)慶安元年の作
裏書に、八世 東暉上人により「この一幅は良定上人(袋中)の玉筆である」と記されている
<當麻曼陀羅図>
中心の三尊に対して周囲の菩薩が寄り添っている
浄土三曼陀羅の一つ
大きさ:縦349.7cm、横335.4cm
當麻寺蔵の當麻曼陀羅原本からするとやや小さめ
1671年(皇紀2331)寛文11年
八世 東暉上人が、袋中上人の33年御遠忌に合わせ、南都絵師 竹坊正俊に描かせたもの
<清海曼陀羅図>
浄土三曼陀羅の一つ
<智光曼陀羅図>
浄土三曼陀羅の一つ
<八相涅槃図>
釈尊入滅の一場面を描いた涅槃図に、入滅前後の八つの場面を加えたもの
毎年2月15日の涅槃会に本堂に掲げられ、法要が営まれる
大きさ:縦249.8cm、横250.5cm
1626年(皇紀2286)寛永3年
袋中上人が、奈良絵師 竹坊藤兵衛に描かせ二世 團王上人に寄進されたもの
<佛説七知経(重要文化財)>
大きさ:縦26.0、横119.7cm
734年(皇紀1394)天平6年
聖武天皇の勅願による一切経
もと五千巻あったうちの数巻のみが残るうちの貴重な一巻
巻末の願文に続いて、写経司の記述がり、官立写経所の存在を示す貴重なもの
<袋中真筆仰名号>
袋中上人が揮毫した六字名号
署名の下に、上人独特の花押がある
大きさ:縦90.0cm、横33.3cm
<琉球王国請来品>
袋中上人が、琉球王国より帰国したのちに尚寧王より贈られたもの
書棚、青貝掛板、クバ団扇、鼎形香炉、琉球椅子、西湖図など30余り
<袋中上人図>
琉球国王 尚寧王の筆による袋中上人の還暦を祝して描いた肖像画
大きさ:縦107.4cm、横44.7cm
<クバ団扇>
クバの葉を団扇形に形作り、その周囲を籐で綴って補強し、竹の柄に、把部に籐巻が施こされている
竹の柄部には、楼閣人物図が描かれている
大きさ:縦49.2cm、横39.4cm
琉球国王 尚寧王による寄贈
<司馬温公家訓螺鈿掛板>
中国 北宋の政治家 司馬温公の家訓を螺鈿で表したもの
板が掛け軸となっている極めて珍しい作
琉球国王 尚寧王による寄贈
大きさ:縦157.5cm、横66.6cm
<黒漆文字入螺鈿椅子>
総体を黒漆塗りにした椅
背板には螺鈿で、登龍と降龍が描かれている
大きさ:高さ108.7cm
琉球国王 尚寧王による寄贈
<朱漆垣松螺鈿卓>
朱漆塗の卓に松樹と垣を螺鈿で表している琉球漆芸の作品
琉球国王 尚寧王による寄贈
<源氏屏風絵図 六曲一双>
25の場面が描かれる
桃山時代から江戸時代初期にかけての作とされる
2003年(皇紀2663)平成15年
本堂の裏から発見された
<阿弥陀二十五菩薩来迎図>
極楽浄土に往生することを願う者が死を迎えたとき、阿弥陀如来が25の菩薩を引き連れて現れ、
浄土に導いてくれる様子を描いたもの
雲上より来迎する阿弥陀の白毫(眉間)から慈悲の光が放たれ、諸菩薩の手には、琵琶・笙・鼓などの楽器が描かれている
本屏風の阿弥陀の両手には、糸通しの穴があり、実際に臨終者の枕元に屏風を運び、
五色の糸を阿弥陀如来の手と、臨終者の手とを結んで用いていたとされる
<龍虎図>
江戸時代後期の越前守を勤めた絵師 岸駒の筆
<阿蘇山望図>
明治時代の京都生まれの四条派の画家 川北霞峰の筆
<祇園祭黒主山の龍紋前懸>
「赤地四爪龍文綴錦」の前懸
中国 明の時代の官服を裁断したものを組み合わせて仕立てたもの
1817年(皇紀2477)文化14年
十五世 良暢上人が、琉球王尚寧から袋中上人に賜った「赤地龍文夷嶋綴錦」一掛を黒主山に寄進したもの
<修正会(しゅうしょうえ)>
1月1日
<開山忌(かいざんき)>
1月21日
開山 袋中上人の命日
<御忌会(ぎょきえ)>
1月25日
宗祖 法然上人の命日
<涅槃会>
2月15日
釈迦尊の命日
<屏風まつり>
4月上旬
屏風を虫干しをかねて、本堂で公開される
<花まつり法要>
4月8日
釈迦尊の誕生を祝う
<加茂川 龍神法要(りゅうじんほうよう)>
6月の第1土曜日
火災・水難を防ぐ祈願が行われる
<だん王地蔵供養・地蔵盆>
8月の第4土曜日
<招福猫・主夜神大祭>
12月の第1土曜日
秘仏 主夜神像が年に一度、御開帳される
1998年(皇紀2658)平成10年
主夜神祭礼が、約50年ぶりに復興される
<成道会(じょうどうえ)>
12月8日
釈迦尊が悟りを開きになった日を祝う
<仏名会・浄焚会(ぶつみょうえ・じょうぼんえ)>
12月の第3土曜日
自らの今年の罪を悔い改めるとともに、古くなったお札・お守り・人形などを供養する
<除夜法要(じょやほうよう)>
12月31日
<主夜神尊>
正式名は、婆珊婆演底主夜神(ばさんばえんていしゅやじん)
華厳経入法界品によると「恐怖諸難を取り除き、衆生を救護し、光を以って諸法を照らし、悟りの道を開かせる」とされる
「主夜」は「守夜」と転化して、夜を守る神として信仰され、盗難や火災などを防いでくれるとされる
日本ではあまり祀られていなく珍しいとされる
1603年(皇紀2263)慶長8年3月15日
袋中上人が、念仏をしていたところ、朱衣(あかごろも)に青袍(あおきひたたれ)を着た主夜神尊が現れ、
「専修念仏の行者を擁護すべし」 と袋中上人に告げて、符を授けられたといわれる
1664年(皇紀2324)寛文4年
霊元天皇の信仰が篤く、行幸され、首飾りを供えられたといわれる
それ以後、勅使の関東下向の道中安全祈願が慣習化されるなど信仰が広まったといわれる
1766年(皇紀2426)明和3年
有栖川職仁親王筆の「婆珊婆演底神最初示現之処」の勅額がかかげられる
音仁親王により、主夜神祠堂のために川端の朱門が寄進される
徳川将軍三代 徳川家光、六代 徳川家宣、十代 徳川家治により、石の鳥居、石灯篭などが寄進された
1747年(皇紀2407)延享4年、1794年(皇紀2454)寛政6年
豪商三井家により、「押絵主夜神尊像」が奉納された
富岡鉄斎により、自らが描いた主夜神尊図が奉納された
1998年(皇紀2658)平成10年
主夜神祭礼が、約50年ぶりに復興される
毎年12月の第1土曜日に招福猫・主夜神大祭が行われ、秘仏 主夜神像が御開帳される
<日本最古の黒招き猫>
猫は、主夜神様の御使いであるとされる
古来より、猫は暴風を察知する力があり、龍神に猫を捧げると風が治まるといわれ、航海に出るときには、
船に猫を乗り込ませていたといわれる
檀王法林寺の黒招き猫は、右手を挙げ、黒色をまとった珍しいもの
「右手招き猫」は、他で模作することを禁じられたといわれる
社寺関連の招き猫としては最古のものといわれる
<加茂川龍神>
「八大龍王」とも称される
晴雨を司る神で、仏法を日照りや水難から守るといわれる
1666年(皇紀2326)寛文6年6月
霊元天皇の勅令によって勧請される
「都名所図会(1780年(皇紀2440)安永9年頃)」によると
檀王法林寺が建立される以前、鴨川の大氾濫により下鴨神社がこの地に流れ着いたので、
加茂大神宮を鎮座させて祀ったとされる
その後、鴨川の東の岸に大きな淵があり、悪蛇が住みつき人に害を与えていたので、
干ばつの年に、悪蛇を斬り倒して、龍王祠を建てて霊を祀ったと記されている
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