永福寺(えいふくじ)は、新京極の繁華街のなかに立つ寺院
昔から境内に一歩踏み入れただけでも、蛸薬師如来のご加護があるといわれ信仰を得ている
永福寺の参道となる東西の通りを「蛸薬師通」と称されるようになる
<本堂>
<鯉地蔵尊>
寶幢院
洛陽四十八願所地蔵尊 第三十三番
<不動尊>
<愛染明王>
愛敬院
<妙心寺>
永福寺の境内の右手側から奥に建つ寺院
<薬師如来の夢告>
平安時代末期
1181年(皇紀1841)養和元年
二条室町の富豪 林秀が、延暦寺の根本中堂の薬師如来に帰依し、長年、延暦寺の月参りを行っていたが、
ある日、薬師如来に「年老いてきて長年の月参りもできなくなるため、どうか薬師如来様を一体お与え下さい」と
祈願したという
その夜、夢枕に薬師如来が現れ、「昔、伝教大師 最澄が私の姿を石に彫り延暦寺に埋めたものを持ち帰るがよい」と
夢告があったという
翌朝、林秀が、薬師如来の示された所を掘ると、瑞光赫々とした立派な石像が見つかり、大喜びしたという
林秀は、その薬師如来の石像を持ち帰り、六間四面の堂を建立して祀り「永福寺」と称したといわれる
<蛸薬師如来>
鎌倉時代中期
建長年間(1249年〜1256年)
日に日に病弱になっていく母親を永福寺に迎えて看病していた僧 善光(ぜんこう)は、
母親から「子供の頃から好物だった蛸を食べれば治るかもしれない。」と言われ、
僧侶の身で、生ものの蛸を買いに行くことを躊躇し悩んでしまう
しかし、善光は、母親を想い、箱をかかえて市場に出かけ、蛸を買って帰える
僧侶が生魚を買ったのを見かけた町の人たちが、門前で、善光に箱の中を見せるようにと責める
善光は、一心に薬師如来に祈り「この蛸は、病気の母親に食べさすために買ったものです」と箱を開ける
すると箱の中の蛸が、8本の足を変じて、八軸の経巻となって霊光を四方に照らした
この光景に、人々は皆な合掌し、「南無薬師如来」と称えると、経巻は蛸に戻り、門前にあった御池に入り、
瑠璃光を放って、善光の母親を照らすと、病気はたちまち回復したといわれる
それ以来、病気平癒を祈願すれば、身体の病だけでなく心の病もたちまち回復したといわれ、
「蛸薬師如来」と称されるようになったといわれる
<鯉地蔵>
近くのある店の足が悪くて床についたままの主人が、心がけがよく働き者の店の若者に、
「今日中に届けないといけない大事な手紙が入っている文箱を、鴨川の東まで届けて欲しい」と頼まれる
その日は、豪雨であった
若者は、途中、いつも参拝している蛸薬師のお地蔵さんに「無事届けられますように」とお願いする
鴨川へ着くと、水かさが増して流れも激しかったが、
若者は、意を決して、激流の中を歩いて渡ろうとした
しかし、川の半ばで、大事な文箱を流してしまい、血相を変えて大慌てになるが、
ところが、大きな鯉が、文箱をくわえてやってきたという
日頃、信心深く心がけのよい若者を、お地蔵さんが鯉に姿を変えて助けたといわれるようになった