永養寺(えいようじ)は、寺町通高辻通上ルにある寺院
本尊は、慈覚大師 円仁が造像したもので「疱瘡守護如来」と称され、平重盛が護持仏にした
天明の大火では、鴨川の東岸から永養寺に焼け移り、市中に広がっていった
<本堂>
<本尊 阿弥陀如来像>
平安時代初期
疱瘡(天然痘)が流行して、鴨川の河原が遺体であふれたといわれる
天台宗の僧 慈覚大師 円仁が疫病を鎮めるために造像して本尊としたといわれる
平重盛が、「疱瘡守護如来」と称して護持仏にして、後に寺に遷された
<永養寺町(下京区)>
現在の地の西
かつて永養寺があったところで、地名の由来となった
1637年(皇紀2297)寛永14年
「洛中絵図」には「ゑようし町」と記されている
曹洞宗開祖 道元禅師が、病の療養のために永平寺から京へ戻り、永養寺町の弟子の屋敷に滞在し、そこで亡くなった
<天明の大火>
1788年(皇紀2448)天明8年1月30日早朝
鴨川の東岸、団栗辻子の民家から出火
強風にあおられ、鴨川を越えて、永養寺に燃え移り、市中に広がっていき80%を類焼させた