延福寺(えんぷくじ)は、亀岡市の西部、本梅町にある高野山真言宗の寺院
花園天皇の勅願で再興された経緯があり、石造 十三重石塔(重要文化財)がある
平安時代末期
1154年(皇紀1814)久寿元年
文覚上人により創建される
その後、衰退する
鎌倉時代後期
1312年(皇紀1972)正和元年
僧 祐辨が、花園天皇のご病気を本尊 薬師如来に祈願して平癒された功績により、勅願を受けて再興する
正和年間(1312年〜1317年)
再興された諸堂塔が焼失する
江戸時代初期
1687年(皇紀2347)貞享4年
本堂が再建され、薬師如来三尊、阿弥陀如来二体毘沙門天、花園天皇像の諸像が祀られる
宝永年間(1704年〜1711年)
大師堂が建立される
近年の土砂崩れで本堂、大師堂などが倒潰する
その後、本堂、庫裏が再建される
<二天門>
朱塗り、三間一戸、八脚門、入母屋造、鉄板葺
両脇に、二天像が安置されている
寛永年間(1624年〜1644年)の再建
<石標「花山天皇勅願 延福寺」>
<南無大師遍照金剛像>
<本堂>
薬師如来が祀られている
「丸岡山」の扁額が掲げられている
<鐘楼>
近年の土砂崩れで唯一残った延福寺で最古の建物
<石造 十三重石塔(重要文化財)>
塔身の初重の四方に四方仏が半肉彫されている
花崗岩、高さ2.7m
基礎部分に、1358年(皇紀2018)延文3年10月25日の願主 僧 祐辨の銘がある
上部九輪の上五輪が欠損している
<役行者の祠>
<庫裏>
<庭園>
池泉回遊式庭園
江戸時代の作庭
<宝篋印塔>
「法界塔」と刻されている