円勝寺(えんしょうじ)は、平安時代末期の院政期に、天皇・中宮の発願で白河(現在の岡崎)の地に建立された六勝寺の一つ
鳥羽天皇 中宮 待賢門院璋子の勅願寺
現在の京都市美術館付近に建立され、円勝寺発掘調査記念碑が置かれている
天台宗の寺院
現在の京都市美術館付近の一町四方の敷地があった
3つの塔が横一列に並んでいた
一般の御願寺の中心伽藍は阿弥陀堂だったが、
円勝寺も、他の六勝寺と同様に、中心伽藍として金堂が建立されていた
このため、5代の天皇が在位中に建立開始された「五勝寺」に、円勝寺をくわえて「六勝寺」と称される
<円勝寺発掘調査記念碑>
二条通岡崎通の交差点南西の岡崎公園の角に置かれている
(記文)
武家の時代を迎えようとしていた平安時代の後期(11世紀〜12世紀)には
白河、鳥羽、後白河各上皇が、鴨川の東、白河の地に皇室関係の御所や寺院を設けて政治を行った。
この白河、今の岡崎一帯は洛南、鳥羽と並んで院政時代の要地となり、
法勝、尊勝、最勝、円勝、成勝、延勝の諸寺いわゆる六勝寺が造営された。
図示した各寺院の推定位置は福山敏男博士の案である。
延勝寺は疎水の西外に推定されるので図示していない。
1970年夏に円勝寺発掘調査団の手で調査がおこなわれ、
平安後期の古瓦多数と、下層からは弥生式土器、土師器等を発見した。
<六勝寺>
平安時代後期の院政の時期
天皇・中宮の在任中の発願によって、鴨川東岸の白河の地に建てられた6つの御願寺
いずれも「勝」の字が付くため、この6ヶ寺をあわせて「六勝寺」と総称される