芬陀院(ふんだいん)は、一条家の菩提寺
東福寺の中大門から入り東に進み日下門の手前に建つ
方丈南庭は、雪舟等楊禅師の作庭
<唐門>
<方丈>
1691年(皇紀2351)元禄4年と、1755年(皇紀2415)宝暦5年に2度焼失
桃園天皇の中宮 恭礼門院の御殿の1棟を下賜された移築される
1899年(皇紀2559)明治32年
昭憲皇太后の寄進により改築される
<茶室 図南亭>
方丈東庭の北側に建つ茶室
「茶関白」と称されるほど茶道を愛した一条昭良(いちじょうあきよし)(一条恵観)好み
<方丈東庭>
鶴亀石組みの枯山水庭園
鶴島を中心にして、蓬莱の連山を表現
重森三玲が作庭した昭和の名庭
<鶴亀の庭(方丈南庭)>
京都最古の禅式枯山水庭園
苔地の中に鶴亀の二つの石組が配され、亀島を中心にした優美な苔庭
刈り込まれた躑躅(ツツジ)の植栽が背景にもなっている
右側の石組みが亀島で、左が鶴島
亀島の中央に立っている一個の大きな石は、亀が動かないようにされた石
寛正〜応仁年間(1460年〜1469年)
関白 一条兼良(いちじょうかねよし)に亀の絵を頼まれた雪舟等楊禅師は、紙にではなく、庭に石を並べて亀の形を作った
その亀が、夜な夜な動いたので、住職が雪舟に頼み、亀が動かぬように大きな石を突き立てたといわれる
喜んだ一条兼良は、雪舟に一寺を与えようとしたが、雪舟は「画の修業をしたい」と断ったといわれる
雪舟は、一条兼良の寄進を受けて中国で絵を学び、独自の風景画風を作り上げ、多くの傑作を残すこととなる
1937年(皇紀2597)昭和12年
荒廃していたところを、重森三玲(しげもりみれい)らにより、作庭時に近いものに復元修理される