伏見別院(ふしみべついん)は、伏見にある東本願寺の別院
教如上人が、東本願寺が分離される以前に、徳川家康より土地を与えられて創建した
<本堂>
徳川家康も居城した向島城の殿舎の遺構を改築したものだった
鳥羽・伏見の戦いで、会津藩が宿泊していたことで、畳を楯に鉄砲の打ち合いがあったといわれ、
大きな損害を受ける
1885年(皇紀2545)明治18年
東向きの大きな建物から、南向に縮小して建替えられる
1990年(皇紀2650)平成2年
解体されてしまう
<山門>
<大銀杏樹>
<四ツ辻の四つ当たり>
伏見御坊の門前
伏見の城下町も碁盤の目状になっているが、どの道から来ても撞木形になっていて突き当たる
軍事警固上、迷路や袋小路を作ったものといわれる