元慶寺(がんけいじ)は、山科の北西部の北花山にある寺院
花山天皇が19歳のときに出家させられた寛和の変が起こったところ
花山法皇が中興した西国三十三所観音霊場の番外札所となっている
<本堂>
方形造
遍昭僧正の作といわれる本尊の薬師瑠璃光如来、遍昭僧正の作といわれる本人木像、花山法皇の宸影などが安置されている
天井からは、赤い提燈が十個ほどで飾られている
安永年間(1772年〜1781年)の再建といわれる
<山門>
唐風の竜宮造
梵天と帝釈天が安置されていたが、現在は、京都国立博物館に寄託されている
安永年間(1772年〜1781年)の再建といわれる
<毘沙門堂>
<納経所>
扁額「傳教」がかかる
<遍昭僧正の歌碑>
「五節舞姫を見て よめる」
「天津風 雲の通い路 吹きとじよ 乙女の姿 しばしとどめむ」(古今和歌集)(小倉百人一首)
開基 遍昭僧正は、六歌仙・三十六歌仙の一人
新嘗祭の豊明節会(とよあかりのせちえ)で舞った童女について詠んだ歌
<素性法師の歌碑>
遍昭僧正の歌碑の横に並んで立てられている
「今こむと 言ひし許に 長月の ありあけの月を 待ちいでつる哉」(古今和歌集)(小倉百人一首)
素性法師は、開基 遍昭僧正の子で、桓武天皇の曾孫にあたる
三十六歌仙の一人
<石碑「勅願所華頂山元慶寺再興碑記」>
1789年(皇紀2449)寛政元年
妙法院宮 真仁法親王により再興され、現在の本堂が再建されたとき、亮雄により建立された
<花山天皇剃髪塚>
本堂の前、左側にある
寛和の変により、花山天皇が19歳のとき、出家させられたときの剃髪が埋められている
上に岩石が置かれている
<石碑「人皇六拾五代花山院法皇御落飾道場」>
<石碑「遍照僧正御墓」>
遍昭僧正のお墓は、南へ徒歩約5分ぐらいのところの遍昭僧正御墓にある
<薬師瑠璃光如来像>
本堂の本尊
遍昭僧正の作といわれる
<遍昭僧正木像>
本人 遍昭僧正の作といわれる
<花山法皇肖像画>
<大和絵>
寛和の変により、花山天皇が19歳のとき、出家させられた様子が描かれている
<梵天像と帝釈天像>
竜宮造の山門に安置されていた
現在は、京都国立博物館に寄託されている
<御詠歌>
「待てといわば いともかしこし 花山(はなやま)に しばしとなかん 鳥の音もがな」
開基の遍昭僧正は、六歌仙の一人
百人一首「天津風雲の通い路吹きとじよ乙女の姿しばしとどめむ」
<鎮守社 六所神社>
北花山、大石道から山手に上がった中腹にある
元慶寺の創建当時は、広大な敷地であり、開基 遍昭僧正により、境内に鎮守社として創建された
<開基 遍昭僧正>
元慶寺を開山した平安時代初期の歌僧
北花山には、遍昭僧正が開山した元慶寺・開山した福應寺・創建した六所神社・お墓がある