岩船寺(がんせんじ)は、浄瑠璃寺の東、奈良県との県境に近い当尾の里にある寺院
多くの南都(奈良)の僧が喧騒を逃れて住み修行に専念していたこともあり、文化的にも南都の影響を強く受けている
関西花の寺二十五霊場の一つで、5000株の紫陽花(あじさい)の名所で「紫陽花寺」とも称される
名前は門前にある石の岩船(いわふね)にちなむといわれる
<本堂>
阿弥陀如来坐像、四天王像が安置されている
1988年(皇紀2648)昭和63年
江戸時代の建物が老朽化し、現在の建物が再建される
<三重塔(重要文化財)>
正面の奥まった高台に朱塗りの色鮮やかな三重塔が建っている
室町時代の特徴的な様式になっている
高さ18.3m、四方三間、本瓦葺、表面は板壁、相輪は鉄製、隅垂木を支える天邪鬼の彫り物が施されている
心柱は二層目に立てられている
初層には心柱や四天柱がなく、中央に須弥壇があり、二本の来迎柱が立てられている
二重折上小組格天井で、板唐戸の両脇に連子窓がある
来迎柱には巨勢金岡筆ともいう「昇り龍、下り龍」が描かれている
来迎柱の間に来迎壁には、極彩色の「十六羅漢の図」が描かれている
来迎壁の裏には、五大明王、その扉の右に羅刹天、左に水天が描かれている
来迎壁上の長押には、押紋様が施されている
板壁には真言八祖の彩画がが描かれている
板戸には、八方天像(東:帝釈天、東南:火天、南:焔魔天、西南:羅刹天、西:水天、西北:風天、北:毘沙門天、東北:伊舎那天)が
描かれている
承和年間(834年〜848年)
仁明天皇が、智泉大徳を偲んで宝塔を建立されたといわれる
1442年(皇紀2102)嘉吉2年
現在の三重塔が再建され、「嘉吉二年五月二十日」の銘がある
1943年(皇紀2603)昭和18年
解体修理が行われる
2003年(皇紀2663)平成15年
修理が施され、朱色に塗り替えられ、内部の壁画壁面の復元も行われた
<十三重石塔(重要文化財)>
花崗岩製の笠石を13個積み重ねた石塔で、塔高5.4m、総高6.2m
切石で造られた方形の基壇から相輪まで完全に残る珍しいもの
初重軸部に「金剛界四仏」(阿しゅく・宝生・阿弥陀・不空成就如来)の梵字がある
1314年(皇紀1974)正和3年、妙空僧正により建立される
1943年(皇紀2603)昭和18年に、石の積み直しを行ったとき、軸石のくぼみの中から、水晶の五輪舎利塔が発見された
<五輪塔(重要文化財)>
山門を入って左手にある
花崗岩製、総高2.35m、基段に複弁式反花座がある
東大寺別当でもあった中興開山 平智僧都のお墓といわれる
鎌倉時代の建立
1937年(皇紀2597)昭和12年
かつては北谷墓地にあり、移されている
<石室(重要文化財)>
石室の高さ約2.2m、花崗岩製
手前左右に2本の角柱を立て、これらで一枚板の寄棟屋根を支えている
奥壁には、像高約1.2mの不動明王立像(重要文化財)が刻まれている
1312年(皇紀1972)応長2年の銘がある
塔頭湯屋坊の僧 盛現が、眼病に苦しみ、夢に現れた不動明王に平瘉を願い、17日間の断食をしたことで完治したとして、
自ら不動明王を彫刻し安置したといわれる
眼病に悩む人々に信仰されている
<山門>
<庫裏>
<開山堂>
<地蔵堂>
<鐘楼>
報恩の鐘がある
<阿字池>
本堂の横にある
<石風呂桶>
山門前石段の手前にある
巨岩をくり抜いて作られており、縦約2m、横約1m
鎌倉時代の作
当時、最盛期における39坊の僧が、これで冷水浴をして身を清めたといわれる
この岩船(いわふね)が、「岩船寺」の名前の由来となったといわれる
<白山神社>
裏山に立つ
794年(皇紀1454)延暦13年
柿本人麻呂により、寺の鎮守社として白山神が勧請された
本殿(重要文化財)は室町時代の建立
<春日神社>
裏山に、白山神社と並んで立つ
<石造 厄除地蔵菩薩>
山門を入ったところに祠がある
真言密教の修験道による修法が行われ、現在も、厄除け大護摩供(3月初午の日)が行われている
鎌倉時代の作
花崗岩製
<貝吹岩>
標高約290mのところにある
かつて山内に39房が点在していた時代、僧らの参集のために貝吹岩に立ち、法螺貝を吹いて知らせたといわれる
<境外石仏 不動明王磨崖仏>
「一願不動明王」と称される
高さ約1.6m
1287年(皇紀1947)弘安10年
岩船寺の僧により、蒙古来襲の退散祈願のために造立された
<境外石仏 阿弥陀三尊磨崖仏>
「わらい仏」と称される
定印の阿弥陀如来坐像と、右に観音菩薩坐像、左に勢至菩薩坐像
1229年(皇紀1889)寛喜元年
岩船寺の僧が願主となり、南宗の渡来系工人 伊行末(いのゆきすえ)の石工に造らせたといわれる
<木造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
本堂に安置されている本尊
欅(けやき)の一木造、欅一木造、内刳り、正印を結び、結跏趺坐、高さ284.5cm
曼網相(人差し指と親指の間の膜状の水かき)に網状の文様が刻まれている珍しいもの
後に付けられたという衣の紅色の彩色が残る
胎内には経文や、「天慶九年丙午九月二日梵字奉書」の銘文がある
946年(皇紀1606)天慶9年の銘がある
行基の作といわれる
<木造 普賢菩薩騎象像(重要文化財)>
本堂に、厨子に入って安置されている
樟の一木造、像高39.5cm
白象に乗っており、辰年・巳年生まれの守り本尊とされる
平安時代後期の作
智泉大徳の図像に基づき、仏師による作といわれる
厨子は、南北朝時代の作
厨子内部板には、法華曼陀羅絵が描かれている
1519年(皇紀2179)永正16年
厨子に、永正十六年12月、遍照院覚忍房の本願で大工国定長盛・藤原弥次郎が修理した銘がある
<石室 不動明王立像(重要文化財)>
1312年(皇紀1972)応長2年
「応長二年初夏六日願主盛現」の銘がある
<天邪鬼(重要文化財)>
鎌倉時代〜室町時代の作
三重塔の隅垂木を支えている木彫り
鬼に似せて作られている
<木造 四天王立像(京都府指定文化財)>
本堂の本尊の四方(東:持国天、南:増長天、西:広目天、北:多聞天)に安置されている
1293年(皇紀1953)永仁元年の銘がある
<十一面観音菩薩立像>
左手に水瓶を持ち、右手で与願印を結ぶ、像高55.5cm
鎌倉時代の作
<十二神将像>
室町時代の作
<菅原道真像>
室町時代の作
<厄除け祈祷面>
真言密教修験道が使ったものといわれる
平安時代のもの一面、鎌倉時代のもの一面がある
<「岩船寺縁起」>
岩船寺、白山神社の歴史、智泉大徳の伝記などが記されている
1733年(皇紀2393)享保18年、文了の寄進
<修正会> 1月1日
<聖天供> 2月1日
<厄除け柴燈大護摩供> 3月初午の日
<春彼岸会> 3月彼岸
<御影供> 4月21日
<地蔵祭> 7月23日
<施餓鬼法要> 8月21日
<秋彼岸会> 9月21日
<聖天供> 10月1日
<除夜の鐘> 12月31日
<関西花の寺二十五霊場 第15番札所>
春:桜・躑躅・都忘れ
夏:紫陽花・睡蓮・さるすべり
秋:紅葉
1937年(皇紀2597)昭和12年から、紫陽花(あじさい)の植栽が行われている
原産野生種の「七段花」、山アジサイ、西洋アジサイなど25種5000株ほどある
<当尾の石仏>
岩船寺や浄瑠璃寺は、京都府の南端、奈良県境に近い当尾の里に位置する
文化的には、南都の影響を強く受けている
奈良や京都の都会の喧騒を離れて修行に専念する僧が多く住んでいたといわれる
鎌倉時代の銘が残った石仏や石塔が多く残されている
石仏には、自然の岩壁に直接刻んだ磨崖仏が多い