願徳寺(がんとくじ)は、大原野、小塩山麓の勝持寺に隣接してある寺院
国宝の如意輪観音菩薩半跏像がある
<本堂>
石灯籠には、「宝菩提院」と刻銘されている
<庫裏>
<庫裏前庭園>
枯山水庭園
<木造 如意輪観世音半跏像(国宝)>
「月光菩薩」とも称されている
平安時代初期の唐からの渡来仏か、渡来人の作によるものといわれる
像高88.2cm、榧材の一木造、素木にわずかな彩色が残っている
頭の宝髻(ほうけい)は高く開いて中央で束ねられている
眼は二重瞼で瞳には黒曜石がはめ込まれており、額に水晶がはめ込まれた白毫がある
右足を下ろす半跏踏み下げる像は、本来、三尊の左脇侍像のもので、独尊像としては珍しいもの
左手は施無畏印、右手の与願印という、通常とは反対になっている
衣紋は、複雑で華やか、背面で天衣と条帛が交差しているのも特徴
<木造 薬師瑠璃光如来立像(重要文化財)>
右脇侍
平安時代後期の作
像高110.3cm、漆箔、彩色
右手は施無畏印、左手に薬壺をのせている
<木造 聖徳太子二歳像(京都府文化財)>
左脇侍
鎌倉時代のもの
像高70.4cm、寄木造、漆箔、玉眼
聖徳太子が2歳の春に、東方の釈迦浄土に向かい合掌したときに、手の間に釈迦の舎利が現れたという様子を
表している南無仏太子像
上畳に立ち、上半身は裸で、腰に赤い袴を着ている
後頭部内に阿弥陀如来像が納められている
木房に「仏子聖戒敬白」とあり、僧 聖戒が、異母兄の一遍上人、父親 如仏の冥福を祈るために、
一遍上人の死後、1290年(皇紀1950)正応3年頃に造像したものとされる
<青不動明王>
本堂の左手前に掛けられている
江戸時代の絵所 貞綱の作
右に眷属の矜羯羅童子(こんがらどうじ)、左に制叱迦童子(せいたかどうじ)を従えている
<薬師如来像(広隆寺)>
飛鳥時代の創建当時の本尊
乙訓社の神木により造仏されたものといわれる
864年(皇紀1524)貞観6年、広隆寺別当の道昌により広隆寺に遷される
<浴場遺跡>
2004年(皇紀2664)平成16年
願徳寺旧跡地(向日市)から湯屋跡(蒸し風呂跡)が発掘された
心礎石、土器、瓦類なども発見されている
浴場は大衆院にあり、僧侶や一般にも開放されていたといわれる
東大寺の湯屋より古く、平安時代前期のものとみられ、国内最古のものとされる