欣浄寺(ごんじょうじ)は、伏見区墨染の付近にある寺院
深草少将の邸宅跡といわれ、小野小町と深草少将ゆかりの史跡がある
日本曹洞宗の開祖 道元禅師の「深草閑居の史跡」ともいわれる
お寺の境内は、深草少将の邸宅跡といわれる
<本堂>
鉄筋コンクリート造の近代的な建物
「伏見大仏」と称される丈六の毘盧舎那如来、阿弥陀如来像、道元禅師石像などが安置されている
堂内深草少将張文像安置
1973年(皇紀2633)昭和48年の建立
<小町姿見の池>
本堂の前に、境内の面積の半分ぐらいある池
小野小町が自分の姿を映したという池
<墨染井(すみぞめい)>
深草少将姿見の井戸
本堂から橋を渡って、池の向こう側にある
深草少将の涙のごとく、枯れる事がない事から「涙の水」とも称される
「通ふ深草百夜の情 小町恋しい涙の水が 今も湧きます欣洗寺」と書かれた駒札がある
<深草少将塚>
<小野小町塚>
池の畔に並んである小野小町と深草少将の供養塔
<藤原基経の供養塔>
<少将の通い道>
池の東の薮の中にあった小道
訴訟がある者が、この道を通ると願いが叶わなくなるといわれる
<道元の詩碑>
「生死可憐雲変更、迷途覚路夢中行、唯留一事醒猶記、深草閑居夜雨聲」
1812年(皇紀2472)文化9年
天照卍瑞の筆により建立された
<井上源三郎の首塚>
1868年(皇紀2528)明治元年
鳥羽・伏見の戦いで戦死した新撰組の六番隊組長 井上源三郎の首塚といわれる
甥の井上泰助がその首を持ち帰ろうとしたがあまりに重く、近くにあった欣浄寺に首と刀を埋葬したといわれる
<丈六 毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)>
本堂の本尊
木造、寄木造、像高約4.85m
木造としては日本一の大きさといわれる
胎内の銘により、頭部は江戸時代1774年から1776年、胴部は1791年から1796年の作とされる
発願は天明義民一揆で、犠牲になった9人を供養するものともいわれる
「伏見大仏(伏見の大仏)」と称されている
釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来の合体仏ともいわれる
<清凉寺式阿弥陀如来像>
平安時代の仁明天皇の念持仏といわれる
<道元禅師石像>
道元禅師の自刻といわれる
<深草少将張文像>
本堂に安置されている立像
深草少将が、小野小町への文を焼いて、その灰を捏ねて作ったといわれる