悲田院(ひでんいん)は、泉涌寺の塔頭の一つ
泉山の中腹に立ち、境内からは京都市内が一望できる
後花園天皇が火葬され奉られてから、勅願寺となる
高槻藩 主永井家の菩提寺でもある
悲田院(ひでんいん)とは、仏教の慈悲の思想に基づき、貧しい人や孤児を救うために作られた施設のこと
聖徳太子が、隋に見習い、大阪の四天王寺に四箇院(悲田院・敬田院・施薬院・療病院)の一つとして建てたのが
日本での最初といわれる
奈良時代後期
730年(皇紀1390)天平2年
光明皇后の皇后官職に施薬院が置かれ、皇后の発案で平城京の左京・右京に悲田院が設置される
平安京にも、病人や孤児のための施設として、左京・右京に悲田院が建てられた
<山門>
<玄関>
山門から正面
<本堂>
左手の建物
<毘沙門堂>
右手の建物
泉涌寺七福神巡り第六番の毘沙門天が祀られている
<南無大師遍照金剛像>
<火葬塚>
<高槻藩 主永井家のお墓>
<阿弥陀如来像>
本尊
本堂に祀られている
<泉涌寺七福神巡り>
1月成人の日
第6番毘沙門天