東向観音寺は、北野天満宮の境内に建つ
本堂が東を向くことから「東向観音」と名付けられる
<本堂(京都市指定有形文化財)>
1607年(皇紀2267)慶長12年
北野天満宮本殿などが再建される際に、奉行 片桐且元が同じく奉行となり、豊臣秀頼によって再建される
桁行三間梁間三間一重入母屋造、本瓦葺
礼堂と、造り合いで繋ながり、権現造のようになっている
大聖歓喜天、束帯天神、無人如導宗師、賓頭盧尊者などが祀られている
<礼堂>
本堂の前
桁行三間梁間三間一重入母屋造、本瓦葺
1694年(皇紀2354)元禄7年の建立
不動明王、弘法大師、地蔵菩薩、愛染明王、毘沙門天、吉祥天、妙見菩薩、韋駄天、伽藍神などが祀られている
<白衣観音堂>
1694年(皇紀2354)元禄7年
第十八世 信啓和上により建立された
中国 大明国の陳元贇禅師より寄進された観音菩薩「高王白衣観世音菩薩」を本尊として祀る
一條家大政所殿が、元禄年間(1688年〜1704年)に寄進された西国三十三所観音霊場観音菩薩像三十三体も祀られている
御厨子は、3代将軍 徳川家光の長女の千代姫により寄進されもの
<伴氏本廟>
菅原道真の母親を祀る御廟
石造五輪塔で、4mを超える巨大なもの
忌明に、この塔に参詣されることから「忌明塔((いみあけ))」とも称される
北野天満宮の三の鳥居西側(現在の伴氏社の場所)にあったもので「洛中洛外図」などにもよく描かれていた
明治維新
廃仏毀釈で、北野天満宮の三の鳥居付近から当 東向観音寺に移される
<土蜘蛛塚>
七本松通一条上ルの清和院前にあって、源頼光を悩ました蜘蛛が棲息していたといわる
明治時代
開拓に伴い、土蜘蛛塚が崩される
塚の下から発掘された石塔を持ち帰って庭に置いた者の家がまもなく倒産してしまう
その後、その石塔をもらった者も続けて倒産したために、元の場所に戻されたといわれる
1924年(皇紀2584)大正13年4月
土地整理により、土蜘蛛塚が、当 東向観音寺の境内に移される
<行者堂>
<十一面観音菩薩>
本尊
菅原道真の作
25年に一度の御年祭の年のみ御開帳される秘仏
2002年(皇紀2662)平成14年
1100年の御大祭が行われ、御開帳される
次の御開帳は、1125年祭の2027年(皇紀2687)平成39年
<高王白衣観世音菩薩>
白衣観音堂の本尊
1655年(皇紀2315)明暦元年
中国 大明国の陳元贇禅師より寄進されたもの
通常の白衣観音菩薩像とは異なり、子供を抱かれている大変珍しい観音菩薩像
世継子授や安産の信仰を集めている
子授け祈願では世継ぎ人形を授けられ、御礼参りに人形を納める風習がある
<西国三十三所観音霊場観音菩薩像三十三体>
白衣観音堂に安置されている
元禄年間(1688年〜1704年)
一條家大政所殿により寄進されたもの
<岩雲弁財天>
当 東向観音寺の鎮守神
豊臣秀頼が、本堂を再建された時に奉納された弁財天
毎年12月1日の柴燈大護摩供でご開帳される
商売繁昌、財運招福、交通安全などの御利益がある