本圀寺(ほんこくじ)は、山科区御陵にある日蓮宗一致派の大本山の寺院
天智天皇御陵と並び、琵琶湖疏水に添い、東山を背にした山紫水明の地
京都に2つある日蓮宗の大本山の一つ(妙顕寺と本圀寺)
「東の祖山」久遠寺に対し、京都に栄えた本圀寺は「西の祖山」と称される
鎌倉から京都へ移った当時の六条堀川の地は、御所の坤(裏鬼門)(南西)にあたる
徳川光圀から「圀」の一字を賜るまでは、「本国寺」と記される
跡地は、西本願寺関連の施設となっており、山科へ移転後も、塔頭の多くが旧地に残存している
<門前の朱色の橋>
琵琶湖疏水に架かっている朱塗りのコンクリート橋
<石碑「日蓮宗教院」>
総門の手前に立つ
<総門>
参道の途中に立つ
「総門 そうもん 要付關 ようふかん」(ふりがな付き)の扁額が掛かっている
<人形塚>
総門から参道の途中に立つ
<山門>
「開運門」「赤門」と称される
1592年(皇紀2252)文禄元年、加藤清正により寄進されたもの
加藤清正が、朝鮮侵略し出陣するときに、門を開いて出征し、戻って凱旋するまでは閉められていた
お題目を唱えながら門をくぐると、「せいしょこさま」と尊崇されている加藤清正のように開運勝利の人生が開けるといわれる
「大光山 平成八年子歳十月 当山八十三世日運 」の扁額がかかっている
1996年(皇紀2656)平成8年10月、修復・復元されている
<鐘楼堂>
開運門の隣に建っている
1996年(皇紀2656)平成8年の建立
<大梵鐘>
総高8尺(240cm)、直径5尺(150cm)
豊臣秀吉の両親や木下家一族など200名程の法号、末寺などが記されている
1593年(皇紀2253)文禄2年
関白 豊臣秀次の母親 瑞竜院 村雲日秀(豊臣秀吉の姉)の寄進
<石造 おとぼけ龍>
<石造 妙法開会七福神(みょうほうかいえしちふくじん)>
手水舎の横に置かれている
七福神が宝船に乗っているところが彫られている
現世安穏(げんぜあんのん)後生善處(ごしょうぜんしょ)の石板がある
<九名大尊神堂>
九名皇諦石(くみょうこうたいせき)の上に九名皇諦尊女が立っている
「九名大尊神」の扁額がかかっている
九名皇諦尊女は「くみょうさま」と称されており、法華経 陀羅尼品に記されている
1536年(皇紀2196)天文5年の天文法難のとき、大火の中に現れ、危難を救った守護神といわれる
炎と煙の中で、体をねじって出現されたときの姿をされている
お題目を唱える人を必ず救うという誓いを立てておられる女神
特に、癌(がん)などの難病から救われるといわれる
毎月8の日(8・18・28日)が縁日とされる
<仁王門(三解脱門)>
本堂・本師堂の瑞垣の門として建てられている
両袖には、本堂両脇に安置されていた阿吽の仁王像が立っている
屋根の両端には鯱がいる
「正嫡付法(しょうちゃくふほう)」の扁額がかかっている
2003年(皇紀2663)平成15年の創建
<大本堂>
日朗、日印、日静、日伝が祀られている
鉄筋コンクリート造、入母屋造、桁行5間梁間5間、本瓦葺
1976年(皇紀2636)昭和51年9月2日
本圀寺中興六十三世 沙羅樹院 日瑞聖人のとき、現在の地に再建された
六条堀川の旧地では、祖師堂と本堂と2つあったものを、一つとして「大本堂」と称する
<日蓮聖人立像>
大本堂の前に立っている
台座には、日蓮大聖人が唱えた「知法思國」が記されている
<本師堂(ほんしどう)(立像釈迦堂)>
大本堂の隣にある
日蓮大聖人が亡くなるまで離さず拝んでおられた持仏の釈迦尊が祀られている
「立像繹迦堂」の扁額が置かれている
堂の前には「閻浮第一立像釈迦牟尼世尊」と記された石柱が立っている
「閻浮第一(えんぶだいいち)」とは、世界に二つとないという意味
1971年(皇紀2631)昭和46年の建立
<客殿>
「求法講院」の表札が付けられている
1971年(皇紀2631)昭和46年の移築再建
<九頭龍銭洗弁財天(くずりゅうぜにあらいべんざいてん)>
鳥居が立ってる
八大龍王の中で最も神通力の強い神さんとされ、財運・金銭運・福・禄・寿の幸運を授けられるといわれる
龍神から流れ出る霊水でお金を洗い、浄財袋に入れて持っていると財運がつくといわれる
縁日の辰の日・巳の日に、浄財袋のお金を新しいお金と入れ替えると、一層のご利益があるといわれる
1996年(皇紀2656)平成8年の勧請
<玉房稲荷堂>
本師堂の横にある
「いなり子なり商いなり富なる守護の善神なりお札お守りあり優美なる老人像なり」と記されている
<安国院>
<生御影堂(しょうみえいどう)>
<小客殿>
<経蔵(輪蔵式経蔵)(重要文化財)>
大本堂の裏の高台にある
3間4面、単層、屋根は宝形造、本瓦葺、正面1間庇付
輪蔵式経蔵であり、内部に一切経を納めた582の引き出しのある
創建当初からの八角形の輪蔵を一回転させると一切経をすべて読んだのと同じ功徳があるといわれる
彩色・装飾、壁面には羅漢・天人の画で飾られている
1464年(皇紀2124)寛正5年
将軍 足利義政が帰依し、9世 日暁に天下静謐の祈祷を依頼し、その恩賞として一切経(朝鮮本)、経蔵が寄進された
1536年(皇紀2196)天文5年
天文法難で罹災する
1607年(皇紀2267)慶長12年
扇谷上杉家の太田資次により再建される
1788年(皇紀2448)天明8年
本圀寺において天明の大火を免れた唯一の建物といわれる
1976年(皇紀2636)昭和51年
山科移転後も旧地に残されていたが、移築再建される
1925年(皇紀2585)大正14年4月24日
重要文化財に指定される
<清正宮>
本堂の背後にある加藤清正公廟
加藤清正が、両親の遺骨、自身の肉歯・毛髪を石室に納め、生き墓「真生廟」として建立する
加藤清正の娘 搖林尼(ようりんあま)が、父母追善のため石碑を建てた
開運勝利の神「せいしょこさま」として信仰されている
覆屋には、十二支の彫刻などが施されている
1788年(皇紀2448)天明8年 天明の大火により焼失
1859年(皇紀2519)安政6年 再建される
<日朗菩薩顕彰碑>
本師堂の前に立てられている
「嫡弟至孝第一」の二祖 日朗菩薩の知恩報恩謝徳により立てられている
<摩訶一阿闍梨日印聖人顕彰碑>
大本堂の前に立てられている
「鎌倉殿中問答勝利」した三祖 日印聖人の第七百年記念報恩により立てられている
<日静聖人顕彰碑>
日蓮聖人立像の横に立てられている
「帝都移還」された四祖 日静聖人の報恩謝徳により立てられている
<本圀寺中興六十三世 沙羅樹院日瑞聖人供養塔>
寺地は、北は六条坊門(現在の五条通)、南は七条通、東は堀川通、西は大宮通まで、
東西二町・南北六町にわたる広大なものだった
<本圀寺跡石碑>
万寿寺通堀川通西入に立つ
「朝鮮通信使ゆかりの地」の駒札も立てられている
<西門跡>
旧本圀寺裏門にあたる大宮通に面している
題目碑・本山碑が立っている
<総墓地>
松永久秀の屋敷跡といわれる
天正年間(1573年〜1592年)
松永久秀が、本国寺塔頭戒善院の檀徒であったことから、松永家の供養のため戒善院墓地として寄進される
塔頭の輪番で維持されてきた
1922年(皇紀2582)大正11年
塔頭で「妙恵会」が組織され管理維持されるようになる
現在の加盟塔頭は18ヶ院といわれる
総墓地には、歴代供養墓がある
塔頭は、現在も六条堀川の旧地(現在の堀川五条の北西・南西付近の猪熊通・岩上通沿い)に16院が残っている
京へ帰洛する以前からの塔頭
<勧持院>
1345年(皇紀2005)興国6年/貞和元年 日靜上人により、本圀寺の境内に移される
<智光院>
1433年(皇紀2093)永享5年、日心上人により創建される
<松林院>
明応年間(1492年〜1501年) 本圀寺の境内に移され再興される
<智了院>
1504年(皇紀2164)永正元年、日受上人により創建される
<真如院>
1535年(皇紀2195)天文4年、日映上人により創建される
<林昌院>
1530年(皇紀2190)享禄3年、日實上人により創建される
<立像釈尊(りゅうぞうしゃくそん)>
本師堂に祀られている
正嫡付法(しょうちゃくふほう)の霊跡 本圀寺に祀られている三箇の霊宝の一つ
三箇の霊宝は、日蓮大聖人が最期に日朗聖人に託された立像釈尊・立正安国論・法難赦免状
1261年(皇紀1921)弘長元年5月12日
日蓮大聖人が、伊豆伊東に流罪中に、地頭 伊東朝高が大熱病にかかり、もだえ苦しんでいたところ、家臣 綾部正清の嘆願で、
日蓮大聖人は、川奈の船守 弥三郎宅から和田に至り祈念されたところ平癒する
伊東朝高は、歓喜して法華経の信者となり、以前に、海中から出現したという仏像を日蓮大聖人に献上する
その後、日蓮大聖人は、生涯の持仏として、鎌倉松葉ヶ谷法難・伊豆伊東配流・小松原法難・滝口法難・佐渡配流など、
大小の法難を立像釈尊と乗り越え、立正安国の大志を遂げた霊験顕著の尊像である
1282年(皇紀1942)弘安5年10月3日
日蓮大聖人は、正嫡付法の誠証として、この立像釈尊とともに、立正安国論・法難赦免状を、二祖 日朗聖人に託される
日朗聖人は、不借身命の遺言を守って護持され、鎌倉殿における問答に勝利された三祖 日印聖人に譲られる
四祖 日静聖人の代に、光厳天皇より六条堀川に寺地を賜り、鎌倉から京都へ移り、護持してきた立像釈尊が祀られた
その後、公家・近衛政家など多くの人々に信仰されてきた
<赦免状三通>
日蓮大聖人が受けた伊豆伊東・竜の口・佐渡の法難の赦免状
三箇の霊宝の一つとして、日蓮大聖人から日朗聖人に託されたもの
<立正安国論一巻>
三箇の霊宝の一つとして、日蓮大聖人から日朗聖人に託されたもの
<歴代天皇の綸旨>
数代の天皇の御綸旨十余通
<真生廟>
<日蓮大聖人像>
日蓮大聖人が、清澄山山頂の旭が森で、日輪に向かって玄題口唱する御影
涙顔に見えるといわれる
<曼荼羅御本尊 六幅>
日蓮大聖人の真筆
1278年(皇紀1938)弘安元年10月19日
日朗聖人へ授与されたもの
同じく日蓮大聖人の真筆の輪宝御本尊とともに貴重なもの
表装の布に鴛鴦(おしどり)の織紋があることから「鴛鴦ご本尊」とも称される
<涅槃図>
江戸時代の狩野元俊が描いたもの
横幅7.44mあり日本で最も長い涅槃図といわれる
<京羽二重巻4>
本圀寺が記されており
円龍院・勧持院・真如院・仙壽院・玉龍院・寂妙院・吉祥院・教蔵院・知足院なども記されている
<和漢三才図会>
本圀寺が東西2町・南北6町とされ、およそ100坊あると記されている
本堂(東西17間・南北間)、祖師堂(方11間)、宝塔(高さ19間半・方5間半)、位牌堂(東西10間・南北8間)、
壇林(東西134間余・南北47間半)