法勝寺(ほっしょうじ)は、平安時代から室町時代まで平安京の東郊白河にあった寺院
法勝寺は、代々の天皇家の尊崇を受け、多くの僧侶や貴族たちが奉仕をし、様々な国家的な仏事が行われ、
「国王の氏寺」と称されていたといわれる
後に、白河の地には、天皇や皇族により「勝」の名称が付く寺院が作られ、総称して「六勝寺」と称される
白河は、白河天皇の時代には、白河院が営まれ、院政の拠点となり、
粟田口から逢坂関を越え東へ向かう幹線道路ができ人や物資移動の中心地となる
法勝寺は、六勝寺の中で、最初に建立され、最大のものであった
京都市動物園からその北側にかけてのあたり、六勝寺の中でも最大の寺院だった
<金堂>
本尊は、奈良東大寺の大仏殿と同じ毘盧舎那如来
これは、法勝寺が護国のための国家的寺院として位置付けられていたことを示す
<八角九重塔>
金堂南の池の中島に、高さ27丈(約81m)の壮麗な八角九重塔が建っていた
<塔の壇>
昭和20年代まで、京都市動物園の中に八角九重塔の跡である「塔の壇」と称される土壇があった
<金堂の基壇の跡>
動物園の北側、二条通にそって高さ約2m、東西約55mにわたる台地状の地形が残っている
講堂、阿弥陀堂、五大堂、法華堂、薬師堂、八角円堂、曼荼羅堂、小塔院、僧房、南大門、鐘楼、経蔵、廻廊などがあった
法勝寺大乗会、御八講などの大法会が行われていたといわれる
<石碑>
1915年(皇紀2575)大正4年11月
京都市動物園内に「法勝寺九重塔跡」の石碑が建てられる
<法勝寺町>
左京区岡崎の法勝寺が建っていた付近に町名として名前が残されている