法厳寺(ほうごんじ)は、山科区 音羽山の西南にある支峰 牛尾山の中腹にある本山修験宗の寺院
「金生水」と称される霊水が湧き出ており、清水寺の音羽の滝に通じており「清水寺奥の院」とも称される
天智天皇の自刻とされる観音菩薩が祀られており「牛尾観音」とも称される
<黒門>
冠木門
「山門」「大門」「総門」「冠木門」とも称される
2013年(皇紀2673)平成25年の台風18号で流出
2020年(皇紀2680)令和2年3月17日に再建された
<桜の馬場>
黒門の前の広場
648年(皇紀1308)大化4年
中大兄皇子(後の天智天皇)が、大化の改新の成就記念に、音羽山音羽川に桜楓が植樹される
<本堂(京都府暫定登録有形文化財)>
1689年(皇紀2349)元禄2年
中興2世 浄遍上人により再建される
<庫裏>
扁額「牛王山」がかかる
<釣鐘堂(空の道場)>
1691年(皇紀2351)元禄4年の建立
梵鐘は、1695年(皇紀2355)元禄8年の鋳物造
「山城国山科牛尾山 京清水奥院」の銘がある
<大杉堂(鎮守堂)>
「大杉坊」と「宇賀神」の扁額がかかる
天狗面や、大きな下駄が安置されている
かつては音羽山の山頂付近にあり、本堂とともに現在の地に遷された
火を司る男性神・大杉坊大権現(天狗)、水を司る女性神・八頭竜王尊が祀られている
宇賀徳生神主王も祀られているともいわれる
音羽山の山神は、山中を自在に飛び回り、参詣者、登山者を守護するといわれる
<杉のご神木(京都市の巨木・銘木)>
「大杉さん」「天狗杉」とも称されている
樹齢800年以上
<霊水 金生水(きんせいすい)>
本堂の付近の観音立像の下に湧き出ている
延鎮上人が、霊夢により金色に光る水源地を探しあてたといわれる
観音立像が安置されている
円珍は、金生水で、紺紙金泥曼荼羅(こんしこんでいまんだら)を描いたといわれる
<閼伽井舎>
金生水の覆屋
扁額「金生水」がかかる
釣瓶で金生水をくみ上げる
<黒泥窟(ぼくていくつ)(黒泥巌)>
金生水の背後の山腹に開いている縦細の穴
<富来楽弁財天>
金生水のそばに祀られている
水の守護神
<鎮守社の小祠>
<経塚>
<地龍王神の石>
<天龍王神(風の道場)>
鳥居、石碑、石仏、狛犬、石燈籠がある
<大弁財天社(識の道場)の小祠>
天箕面山の瀧安寺本尊が勧請されている
<五智瀧(水の道場)>
石不動明王像や、いくつかの石仏が祀られている
18尺(5.5m)の滝があり、滝行場がある
「白糸滝」「龍神滝」「御瀧」「音羽ノ瀧」とも称された
円珍が入山したときに、身浴場の行場として開いた
<放生池>
<石刻 役行者 神変大菩薩>
<御砂踏場の道場>
南無大師遍照金剛立像、観音立像がある
西国三十三か所観音霊場、四国八十八か所霊場の砂が、仏像の廻りに納められている
一周すると霊場を参拝したのと同じご利益が得られるといわれる
<護摩堂>
扁額「護摩堂」がかかる
毎月17日に護摩供が行われている
<詩碑>
「登牛尾山 釈顕常」
黒門の近くにある
<歌碑>
平安時代後期の公家・歌人 藤原顕孝の歌碑
「牛の尾や 春はのるまにかつ消えて まだらに萌ゆる 峯の白雪」(三井集)
<牛之墳>
991年(皇紀1651)正暦2年5月頃
感染症 牛疫が流行したときに、仁海僧正が秘法「牛疫止息祈祷」を行い制したときに立てたといわれる
1018年(皇紀1678)寛仁2年
仁海僧正が、母親の追善供養のために「牛皮曼荼羅」を描き、そのとき牛の尾を埋めたといわれる
<當山開基千五十年紀念碑>
1921年(皇紀2581)大正10年10月
大西良慶により立てられる
<本堂聖霊殿跡>
音羽山山頂近くにある
770年(皇紀1430)宝亀元年
延鎮上人が、伝承の僧 行叡居士と出遭い、この地に寺院を建てて観音像を安置するように告げられて本堂を創建した地といわれる
奥には、天智天皇の聖霊を祀る神明社が建てられたといわれる
本堂に祀られているもの
<本尊 十一面千手千眼観世音菩薩>
本堂に祀られている
天智天皇の自刻とされる
673年(皇紀1333)白鳳2年
本尊の十一面千手観音像が、宮中 大悲殿にあったが、奈良遷都により法厳寺に遷される
<本尊脇侍 不動明王像>
<本尊脇侍 毘沙門天像>
<行叡居士像>
<延鎮法師像>
護摩堂に祀られているもの
<不動明王像>
<神変大菩薩像>
<愛染明王像>
<蔵王権現像>
<観世音菩薩像>
<木靴(沓)>
行叡居士のものといわれる
<大西良慶自筆の絵>
<新年修正会> 1月1日
<初観世音会 ぜんざい接待> 1月17日
<節分会> 2月節分
<春季御開帳法会・採燈大護摩供>
4月17日
本尊が公開され拝観できる
<夏季悪疫災難避法要> 8月17日
<秋季御開帳法会・大般若経転読法要>
10月17日
本尊が公開され拝観できる
<除夜の鐘 年越し蕎麦接待> 12月31日
牛尾山の中腹にある法厳寺境内まで、音羽川の渓流に沿って登っていく
<鎌研橋(かまとぎばし)>
参道入口に架けられている最初の橋
ここで鎌を研いで山に入っていった
<天狗爪研ぎ岩>
参道から外れた脇道にある
硬質の石に筋があり、天狗が爪を研いだ岩といわれる
<蛙岩>
参道沿いの音羽川の中にある、蛙が座っているように見える大石
<大師橋(二の橋)>
<腰掛石>
大師橋のそばにある
空海が入山したときに、腰を降ろして休んだという
<弘法大師堂>
1941年(皇紀2601)昭和16年、篤信者により建てられた小祠
大日如来、弘法大師石像が安置されている
扁額「大師堂」がかかている
空海が、ときどき現れて恐れられていた大蛇を、音羽川で身を清めて大蛇除難祈祷を行った守護所
<牛尾山十八丁の石標>
<鮎戻り(鮎戻の瀧)(鮎止の瀧)>
音羽川の滝で、流れが早く鮎も遡上できないといわれる
<腰抜坂(こしぬかしさか)>
盗人が寺宝を盗み出して逃げるが、背後から大声で呼び止められて腰を抜かして気を失った
盗人は気付いても動くこともできず、観音さまの仕業と思い懺悔し盗品を返して牛尾観音に帰依したといわれる
<懺坂(ざんざか)>
参詣者が、道中の安全を念じて「懺悔懺悔六根清浄」と唱えて登ったために名付けられた
<木食上人行場跡>
木食上人が、音羽川沿いの参道を整備したといわれる
川端に、木食上人が、前行誦念した行場跡がある
<お経岩(経岩・弘法大師御経岩・誦経石)>
空海が、大蛇封じの祈祷の後に、誦経して再び祈祷したところ
延鎮上人が石上でお経を読んだともいわれる
<弘法大師立像>
<聴呪の滝(ちょうじゅのたき)、銚子の滝>
延鎮上人が、霊夢により金色に光る水源地を探しているときに、滝下で休んだといわれる
そこで、滝音に交じって、岩窟の中で行叡居士が読んでいたお経が聞こえてきたといわれる
<仙人窟(般若窟)>
岩窟に大日如来の石造が祀られている
延鎮上人が、岩窟の中で経典を読んでいた行叡居士に出会ったといわれる
<かじか橋(樫野橋)(三の橋)>
河鹿蛙が多く生息している、樫の木も多く生育している
<歌碑>
「夕されば 松吹く風の 音羽川 あたりも涼し 山の下かげ」(続後拾遺集)
鎌倉時代後期の公家 後西園寺入道(西園寺実兼)
<歌碑>
「音羽河 雪げのなみも 岩こえて 関のこなたに 春はきにけり」(内裏名所百首)
鎌倉時代初期の公家・歌人 藤原定家
<夫婦ノ滝>
滝流が2つに分かれており、左側がやや大きく夫瀧、右が婦瀧といわれる
<不動坂>
しずく谷不動尊にちなんで名づけられた
<しずく岩(しずく谷不動尊)、酔いざましの滝水>
かつて滝があり雫が滴り落ちていた
大国ノ淵が、音羽山北谷に守護龍神「音羽山北谷権現社(八大龍王神王)」を祀り、霊場として身浴行場とした
江戸時代、大石良雄内蔵助は、主君仇討の成就祈願のために毎夜日参し、この滝水で身を清め酒覚ましをしたとわれる
後に、大雨により崩れし、講社 西陣乾組組員の援助により復興された
<歌碑>
「鳴神の 音羽の滝や まさるらん 関のこなたの夕立の空」(夫木抄)
鎌倉時代皇族・歌人 中務のみこ(宗尊親王)
<音羽の滝、布引瀧>
高さ約15mの一番大きい滝
清水寺の音羽の滝の水源ともいわれる
<大蛇塚>
1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年
小山郷士 内海覚念が、参拝の帰りに大蛇に襲われ、一刀すると大蛇がひるんだところを岩上から目を狙い矢を射た
大蛇は、蛇壺に入り込み死に、後に供養のための塚が作られ祀られた
<蛇ヶ淵(じゃがぶち)、蛇ヶ谷大蛇の瀬>
かつて数十丈の大蛇が棲んでいたといわれる
1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年
四手井家先祖 伊賀守 四手井景綱が、この地で大蛇を剣で退治したところ、
清水寺の音羽の滝に一日一夜にわたり血潮が流れたといわれる
大蛇は川辺で焼かれ、その地は「焼芝(やきしば)」と称された
<横石橋(四の橋)>
横石橋の脇道を入った音羽山山頂に向かったところに横石谷があり、良質の石「横石」が採れた
方広寺大仏殿の石壁などの石材が採取されたといわれる
<仙人岩>
横石谷にある
<五丈岩(行叡登天場)>
横石谷にある
行叡居士など修行僧が修行をしたところといわれる
<寺尾>
横石橋から桜の馬場の間のこと
塔頭寺院が多く建てられていたことにちなむ
<桜の馬場>
黒門の前の広場
648年(皇紀1308)大化4年
中大兄皇子(後の天智天皇)が、大化の改新の成就記念に、音羽山音羽川に桜楓が植樹される
黒門から横石谷まで、多くの桜が植えられ、桜の名所とされていた
<七曲がり・もみじ谷・女坂>
参道とは別の境内への道で、天智天皇により楓が多く植えられたといわれる
<安履石(あんりせき)>
七曲がりにある
行叡居士の沓が置かれていた石といわれる
<故事 大蛇退治>
牛尾山 蛇ヶ淵(じゃがぶち)に数十丈の大蛇が棲んでいたといわれる
1358年(皇紀2018)正平13年/延文3年
四手井家先祖 伊賀守 四手井景綱が、大蛇を剣で退治したところ、清水寺の音羽の滝に一日一夜にわたり血潮が流れたといわれる
大蛇は川辺で焼かれ、その地は「焼芝(やきしば)」と称された
その後、四手井景綱が、重病で倒れたとき、不思議な僧が現れ秘薬の処方を教えて消える
平癒した四手井景綱は、牛尾観音の霊験と感謝して、薬は秘薬として同家に伝わっていく
永禄年間(1558年~1570年)
戦国大名 松永久秀が、薬を試すために、囚人10人に毒を飲まし、
そのうち8人に秘薬を与えると蘇生し、飲まなかった2人は即死したといわれる
秘薬は「山科樣金屑丸(きんしょうがん)」と号された
<牛尾山>
標高551m
音羽山(593m)の支峰・主峰
法厳寺から、東海自然歩道を辿ると牛尾山、音羽山を経て逢坂山に向かう
「主穂山(うしおやま)」とも称され、家の主が神々に初穂を供える山として信仰されてきた
1018年(皇紀1678)寛仁2年
仁海僧正が、母親の追善供養のために「牛皮曼荼羅」を描き、そのとき牛の尾を埋めたといわれる