法金剛院(ほうこんごういん)は、妙心寺の南の、古くから名勝の地として知られる双ヶ丘の東麓にある
蓮(ハス)の寺として知られ、夏には、世界中から集められた多数の蓮(ハス)の花が咲く名所
6月上旬には、平安時代の池泉回遊式浄土庭園の池畔に、濃紫・白・薄黄の花菖蒲が咲き誇る
紫陽花(あじさい)、沙羅(さら)などの花の名所でもある
最盛期には、
五位山を背にして、中央に池が掘られ、池の西に西御堂(にしみどう)(丈六阿弥陀堂)、南に南御堂(九体阿弥陀堂)、
東に待賢門院の御所が建てられ、庭に青女の滝を造り、極楽浄土を表した庭園とされた
その後、三重塔・東御堂・水閣(すいかく)などが建ち並んでいたといわれる
<礼堂(本堂)>
本尊の阿弥陀如来坐像・十一面観音菩薩坐像・僧形文殊菩薩坐像などが安置されている
北側には、釣殿が付設する
参道から礼堂前には、鉢植えの蓮が多数置かれている
1617年(皇紀2277)元和3年の再建
<庭園(国の特別名勝)>
池泉回遊式浄土庭園
面積は約2000m2
平安時代末期
1133年(皇紀1793)長承2年
待賢門院が、極楽浄土をあらわす庭園を造園させたもの
青女の滝(せいじょのたき)
巨岩が並べられ構成されている
仁和寺の石立僧 林賢と静意の作といわれる
平安時代末期の浄土庭園の遺構で、現存する同時代の滝石組としては最大の規模を誇る
1968年(皇紀2628)昭和43年に、発掘され復元された
平安時代の発願者、作者が明確であり、その遺構が残っている大変貴重なもの
<表門>
表門の左側には、「文徳天皇御旧跡 律宗別格本山 法金剛院」と彫られた石柱が建つ
<鐘楼>
表門をくぐってすぐ左に建つ
<仏殿>
礼堂の奥(西側)
本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)、十一面観世音菩薩座像(重要文化財)など多数の仏像が安置されている
<地蔵院>
仏殿のさらに奥に建つ
<仏足石>
礼堂の東側、庭園の傍にある
釈迦の象徴とされ、仏の三十二相の一つで足の裏に転法輪が描かれている
<待賢門院堀河の歌碑>
「ながからむ心もしらず黒髪の みだれて今朝は物をこそ思へ」と彫られている
庭園の北東側に建つ
待賢門院堀河(たいけんもんいんのほりかわ)は、待賢門院(藤原璋子)に仕えて「堀河」と称された
女流歌人で小倉百人一首にも選ばれている
高さ約1.5m
1997年(皇紀2657)平成9年に建てられたもの
<待賢門院桜>
早咲きの枝垂れ桜
「紫の桜」とも称される
<五位山(ごいさん)>
背後にある山
仁明天皇が、山頂からの眺めが素晴らしいので、山に従五位下の位を授けたことから「五位山」と称される
<木造 阿弥陀如来坐像(国宝)>
本尊
平安時代後期
1130年(皇紀1790)大治5年の作
仏師 院覚の現存する唯一の作
木造漆箔、像高2.2mを超え、蓮弁の彫刻がみごとな大作で、西御堂(丈六阿弥陀堂)の本尊だった
定朝様式の優美な装飾が加えられた像
平等院、法界寺とともに、「定朝の三阿弥陀」と称される
2020年(皇紀2680)令和2年9月 国宝に指定される
<木造 厨子入 十一面観音菩薩坐像(重要文化財)>
本堂に安置されている
像高69.2cm
四臂(手が4本)の坐像としては例がない珍しいもの
仏身は、粉溜塗、鳳凰の盛上彩色文や截金文がある
1319年(皇紀1979)元応元年
院派の仏師 院吉らによって造立される
厨子(ずし)は、鎌倉時代の作
天井は、八葉蓮華の天蓋
三方開きの扉には十二天、背板には、三十三身分応化図が描かれている
<木造 地蔵菩薩立像(重要文化財)>
平安時代の作
一木彫
ずんぐりした体つきで、衣紋に古様がある
<木造 僧形文殊菩薩坐像(重要文化財)>
平安時代の作
一木彫
珍しい僧形の文殊菩薩
<木造 地蔵菩薩坐像>
一丈六尺の大きさ
目に金箔が貼られていたことから「金目地蔵(かなめじぞう)」と称される
転じて「要地蔵」「叶地蔵(かなえじぞう)」とも称される
平安時代後期の作
<蓮華式香炉(重要文化財)>
古清水(こきよみず)焼きで、蓮の花をかたどった香炉
大型で、縁に金、紅、紫で彩色されている
仁清(にんせい)の作といわれる
京都国立博物館の寄託
関西花の寺第十三番
4月上旬〜中旬 待賢門院桜(早咲の枝垂桜)、ソメイヨシノ
6月上旬〜中旬 花菖蒲、菩提樹、沙羅(さら)
6月中旬〜7月上旬 紫陽花(あじさい)
7月上旬〜8月上旬 蓮(ハス)
11月中旬〜下旬 紅葉