方広寺(ほうこうじ)は、東山区の豊国神社の北にある寺院
豊臣秀吉が高さ約19mの大仏を安置したところ
徳川家康による豊臣家滅亡のきっかけとなった「国家安康の梵鐘」がある
<石塁および石塔(国の史跡)>
<本殿>
<大黒天堂>
<鐘楼>
<国家安康の梵鐘(重要文化財)>
東大寺、知恩院のものと日本三大名鐘の一つ
この鐘の左上に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の銘文が、
家と康を分断し、豊臣家を君主とするものだとして徳川家康の怒りにふれ、豊臣家滅亡のきっかけになったといわれる
1614年(皇紀2274)慶長19年
京都三条釜座の名古屋三昌により鋳造される
大きさは、高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さ82.7t
<本尊盧舎那仏坐像>
消失した大仏の1/10の大きさの木像
2代目の大仏の台座の一部などが現存する
大仏殿の遺物としては、他に柱の金輪、屋根の軒先に吊されていた風鐸が残されている
<大黒天像>
桓武天皇の勅命により伝教大師 最澄が延暦寺を建立するときに、比叡山登山中のお告げにより彫刻された大黒天といわれる
さらに、その像を豊臣秀吉が気に入り、1/10のサイズで作らせ手元に置いたとされる小さい像もある
ともに大黒天堂に安置されている
<正面通>
方広寺大仏の正面の通りから名付けられる
豊臣秀吉は、東の豊国廟と西の本願寺と方広寺が一直線になるよう計画したといわれるが、
徳川家康により、その間に東本願寺・渉成園が創建され分断されてしまった