宝鏡寺(ほうきょうじ)は、寺之内堀川の東の百々町にある寺院
代々歴代皇女が住持となった由緒ある尼門跡寺院で、「百々御所(どどごしょ)」と称される
京都にある7つの尼門跡寺院のうち、大聖寺門跡に次ぎ、二番目の寺格に列せられる
孝明天皇が愛した京人形や、数百体の人形が保存されており、「人形寺」とも称される
本尊の観音菩薩が、手に鏡を持っていたことから「宝鏡寺」と名付けられたといわれる
全国から送られてきたお人形の人形供養が、毎日行われている
珍しい月光椿や伊勢なでしこなどの花が四季折々に咲く花の名所
本堂南側は紅葉の名所
<本堂(京都市指定有形文化財)>
本尊 聖観音菩薩像が安置されている
1830年(皇紀2490)文政13年の再建
前後各三室からなる六間取の方丈形式
玄関を入って最初の部屋が「使者の間」
後列の東端は、床を1段高くして「上段の間」となっているが、床の間や棚などの座敷飾りがない
狩野派による襖絵「秋草の図」や、
河股幸和(かわまたゆきかず)の作の「春・桜と子犬」「夏・葡萄と鹿」「日・伊勢撫子と鶺鴒」という襖絵がある
<阿弥陀堂(京都市指定有形文化財)>
本堂から廻廊を渡った建物
光格天皇の勅作の阿弥陀如来立像が安置されていることから「勅作堂」とも称される
1847年(皇紀2507)弘化4年
阿弥陀如来立像が御所より移されることにより、御所の古材で創建された
合併した大慈院の本尊 阿弥陀如来立像、大慈院の開基 崇賢門院御木像、尼僧姿の日野富子の御木像も安置されている
<表門(京都市指定有形文化財)>
<玄関(京都市指定有形文化財)>
<使者の間(京都市指定有形文化財)>
<書院(京都市指定有形文化財)>
本堂から廻廊を渡り、阿弥陀堂を経たところの建物
1798年(皇紀2458)寛政10年3月の上棟
東端の北寄りに主座敷の「御座の間」、手前に次の間の「大広間」がある
その西寄りに「猿の間」など7室と、「鞘の間」が3室ある
円山応挙の「雌雄の雉の図」「子犬の図」などの杉戸絵
円山応震と吉村孝敬が描いた襖絵「四季耕作図」(1833年(皇紀2493)天保4年の作)
<人形塚>
全国から寄せられた壊れたり汚れたりして捨てられてしまう人形を弔い供養し、その霊を慰めるための人形塚
1959年(皇紀2619)昭和34年秋
京人形商工業協同組合や、人形製作に携わる人などによって建立される
塚は、吉川観方(よしかわかんぽう)により、京人形を象徴する愛らしい手に宝鏡を持った御所人形が彫り込まれている
台座には、武者小路実篤の歌碑が刻まれている
「人形よ誰がつくりしか 誰に愛されしか知らねども
愛された事実こそ 汝の成仏の誠なれ」
<庭園>
南庭は、一面の苔が美しく秋の紅葉とのコントラストが鮮やかな庭
東庭は、桜・椿・柿・花梨など華やかな花木の庭
中庭には、奈良の都の八重桜や椿がある
皇女 和宮が幼い頃に遊んだといわれる「鶴亀の庭」がある
<熊谷椿(くまがいつばき)>
庭園の北端に立つ
雄ずいが放射状に平開して発達する肥後椿の原木
地上部で幹間130cm、さらに3幹に分岐している
一重大輪の真紅の花を咲かせ、葉は濃緑色で厚い
<月光椿(がっこうつばき)>
庭園の西北隅にある椿
京椿の中でも貴重な名品
紅色の花弁の中に、弁化した雄ずいが鮮明な白色を呈する
<村娘椿(むらむすめつばき)>
中庭にある椿
濃桃色の八重の花をつける
<聖観世音菩薩像>
秘仏の本尊
伊勢の二見浦で漁網にかかったものといわれ、膝の上に小さな円鏡を持っている珍しい姿をしており、
「宝鏡寺」の名前の由来となった
<人形>
代々内親王の入寺により、天皇から贈られてきたことなどにより、尼門跡寺院には多くさんの人形が保存されている
皇女が愛するあまり、人形に「魂」が入り、皇女のお手伝いをしたという伝説も残る
<直衣雛(のうしびな)2組>
有職雛
「直衣」とは、上級貴族の日常着で、常に烏帽子をかぶる
特別な勅許を得た臣下に限り、冠直衣でも参内が許されていた
江戸時代後期
1833年(皇紀2493)天保4年
宝鏡寺門跡 第二四世 三摩地院宮(さんまじいんぐう)が、父親の光格天皇より賜ったもの
<狩衣雛(かりぎぬびな)>
有職雛
1833年(皇紀2493)天保4年
宝鏡寺 第24代門跡 三摩地院宮(さんまじいんぐう)が、父親の光格天皇より賜ったもの
<猩々人形(しょうじょうにんぎょう)>
「猩々」は、中国の架空の生き物で、体は狗、声は幼児、毛は長い朱紅色をしている
達磨やミミズクとともに、疱瘡の神さまとされていた
皇女 霊厳理欽尼(れいごんりきんに)が、10歳の時に疱瘡にかかり、父親の光格天皇が、病気平癒を祈願して、
人形40箱・菓子10箱が贈られたといわれる
<万勢伊さん(ばんぜいさん)>
皇女に仕えた女性をかたどった人形
宝鏡寺 第22代門跡 徳厳禅尼(本覚院宮)の秘蔵の人形
三折型で、正座ができるようになっている
御所人形が成立する以前の様式で、貴重なもの
御染筆の千字文屏風や、歌留多(カルタ)、四季のお召し物、這い這い人形などの品が付属している
徳厳禅尼に深い愛情により魂が入り、3代の宮に仕え、寺内の夜回りなどもしたといわれる
<おたけさん>
万勢伊様のお付の三折人形
衣裳には肩上げがあり、万勢伊様とは身分が異なる
髪は稚児輪で、後に結い直されている
江戸時代中期のもの
<おとらさん>
万勢伊様のお付の三折人形
櫛形に眼を作り、その上に墨書きされている、庶民的な顔つきをしている
衣服は、近年新しく着せ替えられたもの
江戸時代後期のもの
<孝明さん>
第121代 孝明天皇ご遺愛の御所人形
三頭身で、緋縮緬に草花の刺繍が施された振袖を着け、髪を稚児輪に結っている立姿
櫛形の目で、引き締った口元をしている
江戸時代後期のもの
孝明天皇の崩御の後、形見分けとして下賜ったもの
<市松人形数十体>
「市松人形」は、少年少女の姿をかたどった人形で、手足が自由に動き、着せ替えなどをして遊ぶための人形
<遊戯具類>
双六や貝合せなどの貴重な遊戯具類が所蔵されている
<日野富子坐像(ひのとみこぞう)>
室町第8代将軍 足利義政の正室 日野富子の像
「美婦人」「容顔美麗」とも称される
京都史上最大の災いである応仁の乱を引き起こし「悪女」とも称される
京都に残る唯一の日野富子像といわれる
<扁額>
宝鏡寺門跡22世 本覚院宮の筆
<書院の襖絵「四季耕作図」>
円山応挙の孫 円山応震と吉村孝敬の筆
代掻き・田植え・草取り・稲刈り・脱穀など、お米ができるまでの様子が四季折々の風物ともに描かれている
<書院の杉戸絵>
円山応挙の作
片面には雌雄の雉が描かれ、もう片面には子犬が描かれている
<本堂の襖絵「秋草の図」8面>
狩野探幽の筆
<本堂の襖絵24面>
2004年(皇紀2664)平成16年の完成
河股幸和(かわまたゆきかず)が3年かけて描いたといわれる
「春 桜と子犬」4面・「夏 葡萄と鹿」8面・「日 伊勢撫子と鶺鴒」4面・「月 伊勢撫子と鶺鴒」4面・「冬 ゆりかもめ(都鳥)」4面
<雛まつり>
3月1日
春の人形展が始まり、本堂に多くの雛人形が飾られる
島原の太夫の艶やかな舞などが奉納される
<春の人形展> 不定期
1958年(皇紀2618)昭和33年より
桃の節句にちなんで毎年行われている恒例の行事
寺宝とされている人形数百体が展示される
普段は非公開の方丈、書院なども公開される
2006年(皇紀2666)平成18年のテーマは「京の子供あそび」
<秋の人形展> 不定期
1957年(皇紀2617)昭和32年秋より毎年行われている
<人形供養祭>
10月14日
人形塚に花・茶を供え、その後、本堂で島原太夫による舞や和楽器の演奏などが奉納される
併せて、関係物故者供養祭も行われる
<武者小路実篤の歌碑>
人形塚の台座に彫り込まれている
「人形よ 誰がつくりしか 誰に愛されしか 知らねども 愛された事実こそ 汝が成仏の誠なれ」