報恩寺(ほうおんじ)は、西陣の堀川寺之内の近くにある寺院
豊臣秀吉ゆかりの「鳴虎図」があり、「撞かずの鐘」の故事が残る
歴代の観世流家元や、志野流香道家 元蜂谷家の菩提寺
<石橋>
かつて門前に流れ、現在は埋められた小川(こがわ)に架かる石橋
豊臣秀吉の侍尼 仁舜尼の寄進
擬宝珠に、1602年(皇紀2262)慶長7年の銘がある
<梵鐘(重要文化財)>
「撞かずの鐘」といわれる故事が残る
高い笠形で、八角素弁小形の撞座(つきざ)2個が、龍頭(りゅうず)の方向と直交しているなど、奈良時代以来の古式のもの
平安時代末期の鋳造
<客殿>
筑前 黒田長政が死去した部屋もある
1818年(皇紀2478)文政元年4月の再建
<賓頭盧頗羅堕闍尊者(びんずるはらだじゃそんじゃ)>
仏弟子、十六羅漢の一人で、阿羅漢果を証して神通力を得て衆生を済度する
「おびんずるさま」と称され信仰されている
撫佛(なでぶつ)することで、難病を除かれるといわれる
<庭園>
白砂の枯山水庭園と、中庭がある
<稲荷社>
正一位 稲荷大明神が祀られている
<地蔵堂>
<墓碑>
豊臣秀吉の侍尼 仁舜尼の墓碑
大坂城城代 備後国 福山藩祖 阿部正勝の墓碑
<本堂・庫裡>
1788年(皇紀2448)天明8年の天明の大火で類焼し、
それ以後、再建されていない
<阿弥陀三尊像>
本尊
客殿に安置されている
鎌倉時代の名匠 安阿弥快慶の作
<鳴虎図(なきとらず)>
1501年(皇紀2161)文亀元年
後柏原天皇より、下賜された虎の掛け軸
中国 東北の山岳地帯で、虎が谷川の水を飲んでおり、背後には松が描かれ、2羽のカワサギがとまっている
毛の一本一本が描かれ、立体的に浮き出ており、右からと左から見るとで姿が違って見える
豊臣秀吉が気に入り、聚楽第に持ち帰えり床に掛けて観賞していたが、毎夜、吠えて眠れずに、返されたものといわれる
中国の画人 四明陶いつ(しめいとういつ)の署名があり、宋か明の時代に描かれたものといわれる
寅年の正月三が日にのみ特別公開されている
<撞かずの鐘の故事>
かつて、鐘(重要文化財)は、朝夕に撞かれ、西陣一帯の織屋では、この鐘の音で仕事が終始していた
ある織屋の仲の悪い15歳の丁稚と13歳の織女が、夕刻の鐘の数を、織女は9つ、丁稚は8つと言い争った
本来は、百八煩悩を除滅するために、108つの1/12の9つが毎日夕刻に撞かれていたが、丁稚は、寺男に頼み、
その日だけ8つのみ鐘をついてもらった
織女は、負けた悲しさと悔しさで、鐘楼で首をつり自殺をしてしまった
それ以来、この鐘をつくと不吉なことが起こるため、梵鐘の供養をし、朝夕に撞くのをやめ、除夜と大法要の時にのみに
撞くことになったといわれる