法輪寺(ほうりんじ)、通称「達磨寺(だるまでら)」は、下立売通の紙屋川沿いにある寺院
大小8,000体もの達磨が祀られている達磨堂があり、節分には参詣者で賑わう
参道には、大輪の紅白の芙蓉が咲く名所
<方丈(本堂)>
単層、入母屋造、瓦葺、九間六間
月羅山和尚(琉球中山国円覚寺)の筆の扁額「転法輪」が掲げられている
金箔の仏涅槃木像が安置されている
1718年(皇紀2378)享保3年の創建
1983年(皇紀2643)昭和58年から3年かけた解体修理により復元されている
<十牛の庭>
方丈の東側
禅の悟りの段階を表す
<方丈南庭>
白砂の上に苔で心字が描かれている
<達磨堂>
第二次世界大戦からの復興を願い建立された
「三国随一」といわれる起き上り達磨や、大小8,000体もの達磨が祀られている
達磨大師は、インドから中国へ禅を伝え、少林寺で手も足も無くなる厳しい修行をされたといわれ、禅宗の開祖となる
<衆生堂>
樟一木造の大達磨像、十六羅漢木像、達磨諸相約8000体が安置されている
達磨天井図は樋口文勝、左上の賛「不倒」は山田無文(やまだむもん)の筆
山田無文により「衆生堂」と命名された
貴寧磨寺(きねまじ)(キネマ殿)には、映画ができて以来の関係者約140名の位牌、過去帳には800名の霊が祀られている
2階の英霊殿には、第二次世界大戦の戦没者の位牌が祀られている
<弁天鐘>
明治維新
鐘堂が崩壊し、世の混乱を避けるため梵鐘が、境内の大藪の地中深く埋められたといわれる
1934年(皇紀2594)昭和9年
庫裏の新築工事の最中に発見されて掘り出され、梵鐘の中には、白蛇が梵鐘を護るように棲息していたといわれる
1729年(皇紀2389)享保14年、京三条釜座の名工 藤原国次の鋳造
十二調子の中の夷則調の音色で響く
<学神堂>
島津製作所の創業者 島津源蔵夫妻の念持仏が祀られている
<白幽子のお墓>
白隠禅師の夜船閑話で知られる江戸時代中期の伝説的な書家・隠士 白幽子のお墓がある
<少林寺拳法根本道場発祥地の石碑>
<竹の繁茂>
達磨竹の逆さ竹、インドや中国の竹の珍種が繁茂している
<仏涅槃木像(等身金箔寝釈迦木像)>
本堂に安置されている
等身大の寝釈迦の珍しいもの
桃山時代の作
仏頭、仏顔、仏身、仏足に触れてわが身を按ずると、智慧と徳相と寿命が得られるといわれる
<十六羅漢木像>
1728年(皇紀2388)享保13年のもの
<節分大会> 2月節分
<達磨忌> 11月1日
<法輪寺>
「法輪」とは「車輪が廻るように仏法を説いて止めてはならぬ。仏法を行じて絶えてはならぬ」の意味がある
<達磨大師>
南インド王国の第3王子として生まれ、中国に渡り、中国禅宗の開祖とされる
嵩山少林寺で、9年間、壁に向かって坐禅を続ける壁観を行ったといわれる
この修行により、手足を失ったといわれる