法蔵寺(ほうぞうじ)は、鳴滝の周山街道から北に外れて、坂道を登りつめた西寿寺の途中の西側の山腹にある寺院
二条家の山屋敷であったものを、
江戸時代の工芸家 尾形光琳の弟 尾形乾山が譲り受け、乾山焼きの窯を築いた所
仁和寺宮覚性法親王(鳥羽天皇皇子)の泉殿の旧跡地にちなみ、「泉谷(鳴滝泉谷町)」と称される地
山門の付近は、紅葉となる
<方丈>
近衛家煕(予楽院)が、永代祈願所として寄進したもの
何度かの改築で原形はとどめていない
<墓地>
百拙元養和尚のお墓
儒者 尊攘派志士の春日潜庵のお墓
<窯跡>
境内は、尾形乾山の旧宅地だった
背後の山腹墓地に、尾形乾山の窯跡がある
1712年(皇紀2372)正徳2年まで使われていたといわれる
作陶用の井戸も残っている
<観音菩薩像>
近衛基煕の念持仏だったもの
<百拙元養自画自賛像>
日本文人画の初期の画僧としての百拙元養和尚が描いた自画
<黄檗高泉像>
百拙元養和尚の筆
<十六羅漢像>
七条仏師の作
<十六羅漢図十九幅>
<尾形乾山の陶片>
<襖絵>
近衛家煕(予楽院)旧殿に近衛家 家臣 渡辺始興が描いた襖絵があった
現在は所在不明
<尾形乾山宅跡・尾形乾山陶窯跡地>
門前に石碑が立っている
境内は、尾形乾山の旧宅地だった
背後の山腹墓地に、尾形乾山の窯跡・作陶用の井戸がある
1712年(皇紀2372)正徳2年まで使われていたといわれる
付近から、椀・皿・窯道具・窯体片などが出土した
<春日潜庵先生墓>
門前に、春日潜庵のお墓があることを示す石碑が立っている