勢観房 源智上人(せいかんぼう げんちしょうにん)は、鎌倉時代前期の浄土宗の僧
師である法然上人を開山として浄土宗総本山 知恩院を開基する
弟子に、蓮寂・浄信・宿蓮がおり、この流れを紫野門徒といわれる
<木造 阿弥陀如来立像 (重要文化財) >
1212年(皇紀1872)建暦2年
源智上人が、法然上人の一周忌にその恩徳に報いるために造立したもの
1974年(皇紀2634)昭和49年
文化庁が実施した「文化財集中地区特別総合調査」によって玉桂寺の地蔵堂で発見される
1979年(皇紀2639)昭和54年
京都国立博物館で解体・調査され、膨大な文書が胎内納入品として取り出され、
「建暦2年12月24日沙門源智敬白」と書された自筆の願文も発見されている
2010年(皇紀2670)平成22年
宗教法人浄土宗が、法然上人800年忌の前年にあたり、玉桂寺(ぎょっけいじ)(滋賀県信楽町)から有償で譲り受ける
<阿弥陀仏像胎内文書>
阿弥陀如来像の胎内から、多くの文書が発見されている
「建暦2年12月24日沙門源智敬白」と書された自筆の願文も発見され、
「私が歩んでこられたのは、海よりも深く、山よりも高い法然上人の恩徳のおかげであり、さらに法然上人はお念仏によって
あらゆる人を救ってくださった。ここにお納めする人びとも同じようにお導きを願うものである」旨が記されている
「結縁交名帳(けちえんきょうみょうちょう)」も胎内から発見される
源智上人が、全国の同志に声をかけて回り、後白河上皇、後鳥羽上皇、平清盛、源頼朝などを含む、
法然上人に縁のあった全国の46,000人もの署名がされている
<醍醐寺本「法然上人伝記」>
<「選択要決」>
<「御臨終日記」>
<「一期物語」>
<知恩院>
開基
1234年(皇紀1894)文暦元年
源智上人が、法然上人の廟堂を復興して、四条天皇から「華頂山知恩教院大谷寺」の寺号を下賜される
法然上人を開山とする
<百萬遍知恩寺>
百萬遍知恩寺第二世
1212年(皇紀1872)建暦2年
源智上人が、法然上人が住んでいた賀茂の河原屋に御影堂を建て、専修念仏の道場として「功徳院知恩寺」と称したのが由来
法然上人と源智上人の墓地がある