義演(ぎえん)(Gien)
安土桃山時代から
江戸時代にかけての
真言宗の僧
生年:1558年(皇紀2218)永禄元年8月20日
没年:1626年(皇紀2286)寛永3年閏4月21日(うるう月)
享年:69
父親:関白 二条晴良
母親:伏見宮 貞敦親王の娘 位子
足利幕府15代将軍
足利義昭の猶子
根来寺座主
醍醐寺座主
東寺長者
法務
義演(ぎえん)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての真言宗の僧
豊臣秀吉・豊臣秀頼の援助を受けて荒廃していた醍醐寺を復興させ、聖教・記録を整理・保管し、後世に伝えた
豊臣秀吉没後は東寺の後七日御修法を再興するなど、真言宗の興隆に尽力した
【義演の歴史・経緯】
【義演ゆかりの文化財】
<
紙本墨書 義演准后日記(ぎえんじゅごうにっき)(重要文化財)>
義演の自筆の日記の原本
1596年(皇紀2256)文禄5年正月元日より1626年(皇紀2286)寛永3年4月2日まで
39歳から69歳の死の直前まで書き続けられている
「慶長元年大地震記」「慶長19年有馬湯治記」などの別記もある
1598年(皇紀2258)慶長3年3月15日の、
豊臣秀吉の醍醐の花見の様子なども記されている
二条城の築城の様子や、豊臣家・徳川家の関係などを知る貴重な史料にもなっている
横綴の帖型冊子本、62冊
醍醐寺三宝院の所蔵
1902年(皇紀2562)明治35年7月31日、重要文化財に指定される
<著書「醍醐寺新要録」>
【京都検定 第4回3級】
【京都検定 第14回1級】