鳳林承章(ほうりんじょうしょう)は、桃山時代から江戸時代初期にかけての臨済宗の禅僧
従兄弟の後水尾天皇の出家のときに「唄師」を務め、その後も上皇との親交を深め、
五山僧・公家・茶人・歌人・陶工・能・医師などさまざまな人々が集まった宮廷サロンの一員として、
寛永文化の中で活躍した
茶人としても千宗旦・小堀遠州・金森宗和らと親しくしていた
<隔冥記(かくめいき)>
鳳林承章の自筆日記
1635年(皇紀2295)寛永12年より34年間にわたる日記
寛永文化の文化人との交流や茶会の記録などが記されている
この時期の政治・経済・文化の動向を知るみる貴重な資料
1635年(皇紀2295)寛永12年から1668年(皇紀2328)寛文8年までのものが現存している
後水尾天皇が造営した修学院離宮を訪れたときの様子が、
「御庭の滝風景凡そ眼を驚かせ、肝胆に徹するものなり」と記されている
<茶室 夕佳亭>
鳳林承章によって鹿苑寺(金閣寺)の修復が行われ、後水尾天皇が行幸されることになり、
鳳林承章が茶人 金森宗和(かなもりそうわ)に創らせた茶室
<後水尾天皇宸筆>
後水尾天皇が、鳳林承章の希望によって詠まれた
鹿苑寺(金閣寺)の所蔵
「とはゝやなきぬ笹岡のあきの色を 来て見よとこそ鹿もなくらめ」