一来法師(いちらいほうし)は、平安時代末期の園城寺の僧兵
近江国(滋賀県)園城寺 浄妙坊の筒井浄妙の弟子
治承・寿永の乱(源平合戦)の橋合戦ときに、師 筒井浄妙とともに宇治川 宇治橋で先陣をとり平家軍と戦って討ち死にした
<治承・寿永の乱(源平合戦)の橋合戦>
平安時代末期
1180年(皇紀1840)治承4年5月
後白河天皇の第三皇子 以仁王と源頼政の平氏追討の企てが発覚し、早々に挙兵
一旦、近江国(滋賀県)の源氏寄りの園城寺(三井寺)に入り、南都(奈良の寺院)に向かうことにする
以仁王と源頼政は、園城寺の僧兵 筒井浄妙と一来法師など1500程の軍勢と園城寺を出る
<謡曲「一来法師」>
作者不詳
四番目物
源三位頼政が、高倉宮(以仁王)を奉じて挙兵したとき、一来法師が宇治橋で平氏を相手に武勇を奮う
<歌舞伎「一来法師」>
<浄瑠璃「一来法師」>
<祇園祭「浄妙山」>
御神体は、橋桁の上に立つ僧兵 筒井浄妙と、その頭上を飛び越える一来法師
一来法師は、浄妙坊の頭に乗せた左手一本で、木片の楔(くさび)で支えられている
筒井浄妙は、強面の顔で、金襴の長範頭巾をかぶり、白鉢巻を締め、茶地金襴の鎧下、金鎖籠手、鎧を着て、大長刀を持っている
一来法師は、真剣な面持ちの白い顔で、金の風折烏帽子に白鉢巻、金小札の鎧、緋羅紗の籠手、金塗鞘の大小を腰に、
右手で長刀を持ち、左手は浄妙坊の兜の上にある