准如上人(じゅんにょ しょうにん)

安土桃山時代から江戸時代初期の浄土真宗本願寺派第12世宗主

生年:1577年(皇紀2237)天正5年7月9日
没年:1630年(皇紀2290)寛永7年11月30日(新暦1631年1月2日)
享年:54

父親:第11世 顕如
四男
母親:如春尼(三条公頼の娘・細川晴元の養女)

本願寺12世(西本願寺
諱:光昭
号:理光院
院号:信光院

法印:大僧正

妻:寿光院准勝(祇園宝光院の娘)
長兄:真宗大谷派第12代 教如(東本願寺
息子次男:本願寺12世 良如(西本願寺

 准如上人(じゅんにょ しょうにん)は、安土桃山時代から江戸時代初期の浄土真宗本願寺派第12世宗主

 本願寺の法灯を継ぐが、長兄の教如が、東本願寺を創建し、本願寺が分裂した

【准如上人の歴史・経緯】


【准如上人】

 <本願寺の分裂
 父親 顕如が、織田信長と和睦し、石山本願寺を退去し、紀伊国鷺森に移る

 顕如の長男 教如は、父親に背いて徹底抗戦をとなえ石山本願寺に立て籠もる
 以来、顕如を支援するグループと、教如を支援するグループに分裂していた

 顕如の死去の後、豊臣秀吉から、長兄 教如から四男 准如に法灯を譲るよう命じられる
 その後、徳川家康により、教如に、本願寺の東隣に寺地を与えられ、東本願寺が創建される

 これにより、本願寺は東西に分裂し、西本願寺東本願寺と称されるようになる


 <その他>
 和歌・連歌などにも優れていたといわれる

 法要に雅楽を初めて取り入れたといわれる

【准如上人ゆかりの地】

 <西本願寺
 准如上人の父親 顕如上人のときに、現在の地に移る
 豊臣秀吉の命により、引継ぎ、本願寺12世となる

 <東本願寺
 徳川家康が、准如上人の長兄 教如に寺地を寄進し、東本願寺を創建させる
 准如上人の代のときに、西本願寺東本願寺に分裂した


【京都検定 第14回1級】

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