准如上人(じゅんにょ しょうにん)は、安土桃山時代から江戸時代初期の浄土真宗本願寺派第12世宗主
本願寺の法灯を継ぐが、長兄の教如が、東本願寺を創建し、本願寺が分裂した
<本願寺の分裂>
父親 顕如が、織田信長と和睦し、石山本願寺を退去し、紀伊国鷺森に移る
顕如の長男 教如は、父親に背いて徹底抗戦をとなえ石山本願寺に立て籠もる
以来、顕如を支援するグループと、教如を支援するグループに分裂していた
顕如の死去の後、豊臣秀吉から、長兄 教如から四男 准如に法灯を譲るよう命じられる
その後、徳川家康により、教如に、本願寺の東隣に寺地を与えられ、東本願寺が創建される
これにより、本願寺は東西に分裂し、西本願寺・東本願寺と称されるようになる
<その他>
能・和歌・連歌などにも優れていたといわれる
法要に雅楽を初めて取り入れたといわれる
<西本願寺>
准如上人の父親 顕如上人のときに、現在の地に移る
豊臣秀吉の命により、引継ぎ、本願寺12世となる
<東本願寺>
徳川家康が、准如上人の長兄 教如に寺地を寄進し、東本願寺を創建させる
准如上人の代のときに、西本願寺と東本願寺に分裂した