明恵上人(みょうえしょうにん)は、鎌倉時代前期の華厳宗の高僧
後鳥羽上皇から、華厳宗興隆のために栂尾を下賜されて、高山寺を開山する
栄西禅師から譲り受けた茶の種子を高山寺に播き、日本最初の茶畑が作られ、栂尾茶が誕生する
<夢之記(ゆめのき)>
明恵上人は、よく夢を見たといわれ
19歳から58歳で亡くなるまで、自分が見た夢を書き綴っている
<摧邪輪(ざいじゃりん)>
1212年(皇紀1872)建暦2年
旧仏教の復興に尽力し、法然上人の浄土宗など専修念仏を非難している
<華厳修禅観照入解脱義>
<華厳仏光三昧観秘宝蔵>
<仏光観略次第>
<三時三宝礼釈>
<光明真言土沙勧信記>
<却廃忘記>
弟子の筆記による明恵の言行録
<明恵上人和歌集>
<紙本著色 明恵上人樹上坐禅像(じゅじょうざぜんぞう)(国宝)>
普通の祖師像と異なり、明恵上人の姿が山中の自然の中に小さく描かれている
山中の樹上で一人静かに坐禅をして、釈迦に随順する明恵上人の姿、心情が描かれている
明恵上人は高山寺の裏山を楞伽山(りょうがせん)と名づけ、木の下・石の上・木の洞・岩窟などで座禅をし、
「すべて此の山の中に、面(おもて)の一尺ともある石に我が坐せぬはよもあらじ」と明恵が語ったといわれる
絵はこのときのもので、弟子 成忍(じょうにん)によって描かれたといわれる
鎌倉時代の作品
京都国立博物館寄託されており、複製画が石水院に掛け軸として架けられている
<明恵上人の歌碑>
「山のはにわれも入りなむ月も入れ 夜な夜なごとにまた友とせむ」 高山寺の明恵上人御廟前の苔庭
「栂山の尾の上の茶の木分け植えて跡ぞ生うべし駒の足影」 萬福寺の総門前
<帰依者>
後鳥羽上皇・後深草院・修明門院・九条兼実・九条道家・藤原長房・西園寺公経・
富小路盛兼・北条泰時など