蓮如上人(れんにょしょうにん)は、室町時代の浄土真宗の僧
浄土真宗の教えは、親鸞聖人によって大成され、第3世 覚如上人によって要約され、第8世 蓮如上人によって全国に伝えられる
青蓮院の一末寺となり衰退しきっていた本願寺を再興した、「本願寺中興の祖」とされる
<「五帖御文」>
蓮如上人の布教は、門徒にあてて、教義を消息(手紙)の形で分かりやすく説いた「御文章」を中心に行われた
後に蓮如上人の孫 円如が、全国を回って「御文章」を収集して五帖80通にまとめたもの
1帖から4帖目までは年代順に、5帖目は執筆時期が不明なものがまとめられている
「御文章」は、親鸞聖人の教えを仮名交じりでかみ砕いて書かれており、「凡夫往生の手鏡」といわれ、
手鏡のように常に手元に置いて読みなさいといわれている
<「帖外御文」>
「五帖御文」に含まれない消息
100通ぐらいの消息があるといわれる
<「白骨の御文章」>
「それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに」で始まる文章
お葬式などで読まれる
<「正信念仏偈」「三帖和讃」>
親鸞聖人の著作
吉崎にて開版・印刷を行い、布教に用いられる
以前の本願寺では、毎日の勤行に、善導著作の「往生礼讃」を用いて
1日を6つに分けてそれぞれの時間帯に読経を行う六時礼讃が行われていた
蓮如上人は、勤行のやり方を、朝・夕に「正信念仏偈」「三帖和讃」を唱える方式に全面的に改正し、
一般の門徒にも広く受け入れられるようにした
<「十字名号」>
門徒個人が所有する「道場」、村落ごとに形成された「惣道場」に本尊として与えられた
<「正信偈大意」「正信偈証註釈」>
蓮如上人の著
<「改悔文」(「領解文」)>
信仰生活の規範を示したもの
<「蓮如上人上人御一代記聞書」>
蓮如上人の死後、弟子達が蓮如上人の言行録を写し継いだ書物
全316箇条が残されている
<蓮如上人御誕生地>
知恩院崇泰院の山門前に石碑が立っている
<延暦寺>
本願寺8世 蓮如が、17歳から5年間、念仏修行を行ったところに蓮如堂が建っている
比叡山修行時の蓮如像と、本願寺8世時の二つの像が祀られている
蓮如上人は、念仏修行の日々を、竹の柱にむしろ壁の住まいで、冬は蚊帳を身にまとい寒さをしのいだといわれる
ある時、東江州の弥七という信者が訪れ、麦粉(はったいこ)と緑茶を差し入れると、
蓮如上人は「こんな御馳走を食べたことがない」と喜んだといわれる
以後、蓮如上人は「麦粉上人」と称され、弥七は「金ヶ森の道西」と称して、蓮如上人の布教を助けたといわれる
<東大谷>
本堂(大谷祖廟)に、宗祖 親鸞聖人の御影(遺骨)、蓮如上人や本願寺の歴代門主、全国各地の門徒の遺骨が納められている
<酬恩庵>
一休宗純と親しく、
一休宗純、蜷川新右衛門、蓮如上人の手植えといわれる樹齢500年の3本の杉が生えていた