聖応大師 良忍上人(せいおうたいし りょうにんしょうにん)は、平安時代後期の天台宗の僧侶で、
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)を開宗する
天台声明の修練道場の来迎院を再興し、各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)を集大成した
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)は、浄土教の宗派の一つ
「大念仏宗(だいねんぶつしゅう)」とも称される
1117年(皇紀1777)永久5年5月15日午の刻
天台宗の僧侶だった聖応大師 良忍上人が、46歳のときに大原 来迎院にて、
一心に念仏を称えて修行をしているとき、
阿弥陀如来が現れ、速疾往生(速やかに仏の道に至る方法)の偈文
「一人一切人 一切人一人 一行一切行 一切行一行
是名他力往生 十界一念 融通念仏 億百万遍 功徳円満
(「1人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあう)」
と告げ終わると大光明を放ち、白い絹一枚が授与される
そのことにより開宗されたといわれる
<十一尊天得如来>
本尊
開宗されたときに阿弥陀如来から授与された白い絹
空中に現れた阿弥陀如来を中心にして、十体の菩薩がとり囲んでいる様子が描かれている
<弥陀の妙偈>
阿弥陀如来から授与された融通念仏の法門
融通念仏宗の教えの要となるもの
<神祇同音>
1125年(皇紀1785)天治2年4月4日
鞍馬寺で通夜念仏をされたとき、多聞天が現れ、
神々の世界にまで融通念仏日課百遍を勧めた証拠に「神名帳」を授けられる
その「神名帳」には、日本国内の八百万神の名が連なっており、神々も融通念仏の行者としての
誓約をされている
声明は、寺院で行われる法要儀式で、経文に音曲をつけて歌詠される仏教儀式音楽
「梵唱(ぼんばい)(梵語の仏教歌謡)」とも称される
インドが起源で仏教の発生とともに始められる
日本音楽の源流といわれる
日本には、慈覚大師 円仁(えんにん)が、中国 唐の五台山(山西省)の支峰の一つ魚山から伝えられ、
天台声明の修練道場として来迎院が創建された
後に融通念仏を開いた聖応大師 良忍上人が、来迎院を再興し、
各流派の声明を統一して大原魚山流(ぎょざんりゅう)に集大成される
魚山流が、天台声明の主流となり、湛智・宗快・喜淵などの声明評論家を輩出する
魚山流の声明は、「泣き節」とも称され悲壮感がでる
日本の浄瑠璃、謡曲、民謡などに強く影響を与えたといわれる