大燈国師 宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)は、鎌倉時代末期の臨済宗の禅僧で、大徳寺の開山
<大徳寺>
1315年(皇紀1975)正和4年に開山する
<孤篷庵>
紙本墨書大燈国師墨蹟(重要文化財)がある
<妙心寺>
「正法山妙心寺」の山号寺号は、宗峰妙超が、釈尊が述べた「正法眼蔵涅槃妙心(最高の悟り)」という句から取り命名したもの
<真珠庵>
大燈国師墨蹟(国宝)がある
巻頭の標題に「看読真詮榜(かんとくしんせんぼう)」とあり、「看経榜(かんきんぼう)」と称される
豪放で端正な書風で、宗峰妙超の墨蹟中の代表作といわれる
<大燈国師語録>
<仮名法語>
<祥雲夜話>
<花園天皇>
宗峰妙超が、花園天皇と初めて面会したとき、あまりに宗峰妙超が堂々としているので、
花園天皇が「仏法不思議、王法と対坐す」というと、宗峰妙超はすかさず「王法不思議、仏法と対坐す」と
やりかえしたといわれる
<まくわ瓜>
宗峰妙超の好物
宗峰妙超を探していた花園天皇は、乞食の群れの中にいることを知り、役人に高札を立てさせ、
某日まくわ瓜を乞食にただで与える旨を布告した
当日、役人がまくわ瓜を求める乞食の群れに向かって「脚なくして来たれ」というと、
乞食の一人がすかさず「無手で渡せ」と答えたので宗峰妙超であることが分かってしまったという
<大燈三転語>
1332年(皇紀1992)元弘2年
宗峰妙超が独自で作った公案
「朝に眉を結び夕に肩を交う、我とは何ぞ。露柱は尽日往来す、我何によって不動なる。
もしこの両箇の問を解決し得れば、一生参学の事了(おわ)らん」と学徒を指導した
<応灯関の一流>
師の大応国師 南浦紹明から、宗峰妙超を経て関山慧玄へ続く法系
現在の日本臨済宗は全てこの法系に属する