慈眼寺(じげんじ)は、出水通を七本松通から東に入った角にある寺院
七番町は、桃山時代の聚楽第の武家町跡
周辺にも各宗派の寺院がいくつもあり「てらまち」とも称される地域にある
曹洞宗開祖 道元が創建したという洛中三ヶ寺(宗仙寺、天寧寺)の一つ
<本堂>
書院造
1937年(皇紀2597)昭和12年の再建
本尊の聖観音菩薩坐像は、清水寺の本尊と同木といわれる
<石標「山本梅逸先生墓所」>
門前に立っている
<玄関>
<庫裏>
<鐘楼>
<佐々成政と正室 慈光院のお墓>
五輪塔
<山本梅逸のお墓>
江戸時代後期の南画家 山本梅逸(やまもとばいいつ)
尾張藩の御絵師格
<神沢杜口のお墓>
江戸時代中期の随筆家 神沢杜口(かんざわとこう)
京都町奉行の与力で、見聞した事柄を200巻にまとめて「翁草(おきなぐさ)」として残す
<砲術家 江川太郎左衛門のお墓>
<山本梅逸筆「名花十友図」>
<山本梅逸筆「雲龍」>
<山本億筆「牡丹小禽図」>
山本梅逸の孫
京都国立博物館寄託
<載文進筆「双鹿図」>
<曽我蛇足筆「山水図」>
<鷹司家愛用の煙草盆>