神童寺(じんどうじ)は、木津川市山城町の伊賀街道沿いの山間にある寺院
聖徳太子が開いたといわれる
大和の「吉野山」に対して「北吉野山」と号される
山岳信仰の霊地、修験道の聖地となっていたといわれ、多くの平安時代の仏像が残されている
城郭のような石垣があり、伊賀街道に面している
<表門(木津川市指定文化財)>
切妻造、本瓦葺、棟門の様式
江戸時代中期のもの
1868年(皇紀2528)慶応4年
奈良 興福寺の一乗院より移されたものといわれる
<本堂(重要文化財)>
寄棟造、本瓦葺、方3間、3間1間の向拝が付く、前面に一間通りの吹放しの広縁付き
内部は周囲一間の内陣、拭板の床、棹縁天井、和唐様折衷の須弥壇がある
役行者が自ら刻んだという本尊の蔵王権現像・前鬼像・後鬼像の三尊像が安置されている
前鬼、後鬼の間には、役行者像も安置されている
「蔵王堂」とも称される
1406年(皇紀2066)応永13年
奈良 興福寺官務 懐乗により、現在の本堂が再建される
山城町最古の建物といわれる
<鐘楼>
<護摩堂(木津川市指定文化財)>
方3間宝形造、本瓦葺
内部は、折上小組格天井
<鎮守社>
<十三重石塔>
鎌倉時代後期
花崗岩製
初層軸部、二重円光形に顕教四仏が刻まれている
<収蔵庫>
1968年(皇紀2628)昭和43年に建立される
<腰折地蔵(地蔵石仏)>
墓地にある
花崗岩製、鎌倉時代後期のもの
右手に錫杖を持たず、左手に宝珠を持ち、足に靴を履き地獄まで赴いて衆生救済をするといわれている
<地蔵石仏龕>
墓地にある
基礎石の上に一石で長方形の龕(厨子)と、その内に地蔵菩薩が肉彫されている
手に錫杖と宝珠を持つ
鎌倉時代末期から南北朝時代のものといわれている
<地蔵石仏2体>
境内の覆屋内にある
花崗岩製、室町時代後期のもの
右手に錫杖、左手に宝珠を持つ
<石仏群>
多くの平安時代の重要文化財の仏像が安置されており、「文化財の宝庫」といわれている
<本尊 蔵王権現像>
役行者が、この山で修行した2人の神童の助力を得て自ら刻んだものといわれる
1406年(皇紀2066)応永13年の造仏といわれる
<木造 白不動明王立像(重要文化財)>
像高162.1cm
肉身が後補とみられる顔料で白く彩色が施されていて、「波切白不動尊」といわれる
髪は巻髪、両目は開いている
園城寺の円珍が唐から帰国する途上の海上で霊験があったとされる黄不動画像(国宝)の写しといわれている
全国に数体しか例がなく、その最古のものといわれる
板光背の背後には、墨画の毘沙門天が描かれている
平安時代後期の作
<木造 阿弥陀如来坐像(重要文化財)>
半丈六の寄木造、漆箔、像高137cm
定朝様で、蓮華座に座り、来迎印を結んでいる
泰澄が自ら刻んだものともいわれている
平安時代後期の作
<木造 愛染明王坐像(重要文化財)>
寄木造、彩色、像高64.5cm
忿怒相で獅子冠を被る
6臂のうち、胸前の2臂は、右に五鈷杵、左に五鈷鈴を持ち、肩から出た2手は頭上で天に向け弓を射ようとしている
珍しいもので、「天弓愛染」と称される
台座、円形の光背と束が宝瓶形式で、造仏当初のものといわれる
<木造 毘沙門天像(重要文化財)>
寄木造、彩色、像高124.2cm
岩座に立ち、兜、鎧を身に着け、白い彩色の後が残っている
右手に三叉戟(さんさげき)、左手に宝塔を載せているって
かつては、行者堂に安置されていた
平安時代後期の作
<木造 日光菩薩像(重要文化財)>
一木造、彩色、像高162.4cm
右腕を伸ばし、左腕をまげている
近くの薬師寺の薬師如来の脇侍だったといわれる
平安時代前期の作
<木造 月光菩薩像(重要文化財)>
定朝様、一木造、彩色、像高171.5cm
右腕を伸ばし、左腕をまげている
近くの薬師寺の薬師如来の脇侍だったといわれる
平安時代後期の作
<木造 吉祥天立像>
一木造、彩色、像高97cm
平安時代の作
<木造 毘沙門天立像>
一木造、彩色
平安時代末期の作
<木造 菩薩型立像>
一木造、彩色、像高115cm
平安時代の作
<木造 千手観音菩薩立像>
平安時代後期の作
<木造 阿弥陀如来坐像>
鎌倉時代初期の作
<伎楽面(重要文化財)>
桐材に彩色した崑崙(くろん/こんろん)の面
32cm
面裏に鎌倉時代「建久七年」(1196年(皇紀1856)建久7年)の朱漆銘がある
運慶の父 泰慶の作といわれる
奈良国立博物館に寄託されている
<版本「大般若経」約六百帖>
<紙本著色 神童寺伽藍図一幅>
往時の塔頭26坊の伽藍が描かれている
<鬼瓦(重要文化財)>
本堂にある
室町時代のもの
<修理棟札(重要文化財)>
本堂にある
室町時代のもの
<菊花紋章の幕>
祈願所の令旨により有栖川宮より贈られたものといわれる
4月には、桜とミツバツツジが咲く
紅葉の名所
<伊賀街道>
京都から伊勢に向かう伊賀街道沿いにある
伊賀街道は、綾杉で大和街道より分かれ、涌出宮の北より腰越え、神童寺、天神神社の脇を通り、
桜峠、志め谷、瓶原郷を経て伊賀に通じていた
江戸時代、お伊勢参りの道として「神童寺越え」と称されていた