神應寺(じんのうじ)は、石清水八幡宮のある男山の北側、谷筋を隔てた北の山、鳩ヶ峰の西にある寺院
山門から急な階段を登ると正面に本堂が見える
<本堂>
1795年(皇紀2455)寛政7年の再建
本尊の薬師如来、日光・月光像、位冠束帯姿の豊臣秀吉坐像、聖観世音菩薩像、聖徳太子像が安置されている
<開山堂>
行教律師坐像(重要文化財)が安置されている
<禅堂>
<書院>
伏見城の御殿の遺構といわれる
上段の間に、違い棚があり、金具には菊花・太閤桐で飾られている
襖戸杉戸には、狩野山雪の筆による「竹虎図」「御所車(重要文化財)」などが描かれている
<庫裏>
<鐘楼>
1692年(皇紀2352)元禄5年の棟札がある
<杉山谷不動>
やや離れた奥の院にある
滝もある
<豊川稲荷(荼枳尼天)>
<墓地>
本堂西側の小高いところにある
江戸時代の豪商 淀屋辰五郎のお墓
近代の航空機研究者 二宮忠八のお墓
<航海記念塔(重要文化財)>
麓の山門のすぐ南(左手)に立つ五輪石塔
鎌倉時代、尼崎の商人が宋との貿易を行う際に石清水八幡宮に祈願して、海難を逃れたといわれ、そのお礼に建立された
高さ6mほどで、日本最大クラスの大きさのもの
航海安全のご利益があるといわれる
<檜一木造 行教律師坐像(重要文化財)>
開山堂に安置されてる
平安時代の作、77.6cm
明治時代以前は、石清水八幡宮の開山堂に祀られていた
1870年、石清水八幡宮の開山堂が神殿「継弓社」に変わり、像の頭には烏帽子が釘付けされたといわれる
その後、継弓社が廃されたため神應寺に遷された
<豊臣秀吉坐像>
江戸時代の作、寄木造、位冠束帯姿、42.1cm
<伝弓箴善彊像坐像>
中興の祖とされる弓箴善疆(きゅうしんぜんきょう)の坐像
<杉戸絵「御所車」(重要文化財)>
江戸時代、狩野山雪の筆
<杉戸絵「竹虎図」6面(八幡市指定文化財)>
江戸時代、狩野山雪の筆
<紙本墨画「山水図」4面>
<紙本墨画「瀑布図」>
<掛け軸「八幡大菩薩かがり火の御影」>
1705年(皇紀2365)宝永2年の作
<名前の由来>
開祖 行教が、宇佐八幡大神の神託に応じて、石清水八幡宮を遷座したことにちなんで名付けられたといわれる
<行教>
生没年不詳、紀氏の出身
平安時代の大安寺(だいあんじ)(奈良)の僧
行表に師事して、三論宗、法相宗を学び、伝燈大法師位となる
859年(皇紀1519)貞観元年に、宇佐宮から男山へ八幡大神を遷座し、石清水八幡宮を建立した
<弓箴善疆(きゅうしんぜんきょう)>
生没年不詳、桃山時代から江戸時代の曹洞宗の僧で中興の祖とされる
豊臣秀吉と同郷といわれる
1606年(皇紀2266)慶長11年に高台寺を開山して、豊臣秀吉の文禄・慶長の役で肥前名護屋陣所に随従したといわれる
<廓翁(かくおう)>
生没年不詳、江戸時代の僧
<神応寺(亀岡市)>
別院として創建されたといわれる