神応寺(じんのうじ)は、亀岡市市街地北部の千歳町にある寺院
「商売繁盛の毘沙門さん」といわれる七福神の毘沙門天が祀られている丹波七福神めぐり第一番札所
「花の寺」とも称され、花と緑に包まれ33の観音菩薩めぐりができる、多くの石仏をお祀りした石仏庭園がある
江戸時代末期の火災で経緯などが不詳になる
かつて寅の日に、神応寺に祀られている毘沙門天が、古牛松ヶ谷の大岩へ天降り、
村民たちは、百足山に毘沙門堂を創建し、産土神さんとして祀り、これにより、当地を毘沙門村と称するようになったといわれる
安土桃山時代
1575年(皇紀2235)天正3年
明智光秀の丹波平定の築城のときに、
織田信長の命により近隣の神社仏閣の建造物、敷石などがかり集められ、そのとき毘沙門堂も亡失する
神応寺は、八幡市の神應寺の別院として建立されたといわれる
1873年(皇紀2533)明治6年
神応寺境内の八幡宮を百足山に遷座し、百足山にあった毘沙門天を神応寺境内に遷座される
<山門>
<本堂>
<毘沙門堂>
山門をくぐってすぐ左にある
七福神の毘沙門天が祀られている
三尊形式で、左に吉祥天と、右に善膩師童子(ぜんにしどうじ)が祀られている
丹波七福神めぐり第一番札所
<花の石仏庭園>
花の刈込の中に多くの石仏がお祀りされている
<瑞雲三十三観音菩薩>
石仏庭園内で、33体の観音菩薩めぐりができる
<般若心経一字仏>
般若心経の文字を一字ずつ彫り込んだ地蔵菩薩が置かれている
<木造極彩色 毘沙門天像>
かつて、百足山(むかでやま)に天降りして、百足山の毘沙門に祀られていたもの
左手に鉾を持ち右足にて鬼神羅刹を踏む
向かって左に吉祥天、右に善膩師童子(ぜんにしどうじ)を脇侍として従えている
毎年、初寅の日には開扉されて祭事が行われる
財施の神さん
<渋紙の彫絵「南無観世音菩薩」>
庄野八郎の作
京染型紙彫りの技法が仏画に用いられている
本堂で常設展示されている
<毘沙門天初寅>1月最初の寅の日
<釈尊涅槃会> 3月15日
<彼岸会> 3月春分の日
<釈尊降誕会> 5月8日
<施食会> 8月19日
<石仏万灯会>
8月23日
石仏庭園に1万本のローソクが灯される
<毘沙門天大祭>8月31日
<釈尊成道会> 12月8日
<神紋>
毘沙門天の使いとされるムカデが2匹が輪を作っている紋
<神応寺 竹徳五訓>
竹の子の如く生き生きと
竹まっすぐが如く実直に
竹しなるが如く柔和に
竹節の如く節度あり
竹根の如く繁茂せん
<百足山(むかでやま)>
足方山とも称される
山腹には、神応寺から遷坐された八幡宮がある