実相院(じっそういん)は、岩倉にあり「岩倉門跡(いわくらもんせき)」とも称せられる宮門跡寺院
滝の間の床に映り込む庭園の楓(カエデ)は、「床みどり(ゆかみどり)」「床もみぢ(ゆかもみじ)」と称される
客殿や御車寄・四脚門など、東山天皇の皇后 承秋門院の薨去のときに、大宮御所の建物を賜ったもので、
現存する貴重な女院御所といわれている
幕末には、岩倉具視が一時ここに住み、当時の密談の記録などが残されている
桜の名所でもある
<本堂(客殿)>
享保年間(1716〜1736年)に移築した承秋門院(東山天皇の中宮)の旧殿の遺構
本尊 不動明王像や歴代天皇の尊牌などが安置されている
<車寄せ>
享保年間(1716〜1736年)に移築した承秋門院(東山天皇の中宮)の旧殿の遺構
<庭園>
桃山風の池泉回遊式庭園と枯山水の石庭が二つあり、まったく趣が異なっている
客殿の東の広大な石庭は、もと蹴鞠の庭といわれる
奥の書院と客殿西の間にある池泉回遊式庭園の山裾の滝の石組からの流れこむ池には
モリアオガエルが生息している
<床もみぢ(ゆかもみじ)床緑(ゆかみどり)>
客殿の板の間の黒光りする床に、前庭の楓(カエデ)が映りこむ
春はエメラルド色に輝き、 秋には真紅に染まる
正午頃が一番美しく見えるといわれる
<四脚門>
享保年間(1716〜1736年)に移築した承秋門院(東山天皇の中宮)の旧殿の遺構
<本尊>
鎌倉時代の木像の不動明王
<障壁画>
江戸狩野派の絵師たちによる襖絵や障壁画が多く所蔵されている
<後陽成天皇宸翰(ごようぜいてんのうしんかん)「仮名文字遣」(重要文化財)>
和歌や故実に秀でた後陽成天皇の真筆の本
日本古来の様々な言葉の正確な仮名遣いを記した本とされる
連歌師 里村紹巴が校訂した本を、学識に優れた公家 三条西公条が書写し、それを後陽成天皇が書き写したもの
<後水尾天皇宸翰「忍」>
仏教に帰依深く、学芸に造詣が深く、能筆家でもあった後水尾天皇の「忍」の一大字
後水尾天皇の筆跡をよく示す墨跡として貴重なもの
<明正天皇「三十六歌仙」>
7歳で女帝となった明正天皇(後水尾天皇と東福門院 和子の第二皇女)の書かれた三十六歌仙
藤原公任が和歌に秀でた万葉歌人三人に平安歌人三十三人を選んだもの
<霊元天皇行幸紀 上下>
1785年(皇紀2445)天明5年
霊元天皇(後水尾天皇の皇子)が、1721年(皇紀2381)享保6年から1731年(皇紀2391)享保16年にかけて、
修学院離宮や加茂・岩倉・高野などの洛北各地に行幸された記録を、関係者により修学院離宮で書写されたもの
<岸駒 石灯籠「寒山拾得の図」>
中庭に置かれている石灯籠
江戸時代末期の画家 岸駒の作の石灯篭
岸駒が隠棲していた、法誓院三位局(義尊の母親)が北岩倉に創建した日蓮宗の證光寺が廃寺となり、
実相院に合併されたため移される
<実相院日記>
歴代門主や坊官が綴った門外不出の日記
260年間に渡る歴史が記録されており貴重なもの
最も古い記録は1655年(皇紀2315)明暦元年〜1669年(皇紀2329)寛文9年までを一冊に書き綴ったもの
1716年(皇紀2376)正徳6年からは、ほぼ毎年一冊づつあり、明治時代まで続く
幕末維新時代は、実相院が門跡寺院で朝廷に近く、徳川家ともゆかりが深かったため、
双方からの様々な情報が記せられており、資料価値も高い貴重なもの
<こころのお庭プロジェクト> 2013年(皇紀2673)平成25年から2014年(皇紀2674)平成26年秋 市民や参拝者が参加できる石庭の大改修プロジェクト 造園植治の小川勝章氏の監修 「作庭のプロセスを楽しむことによって、自然と調和する庭を体感する」がコンセプト 倒壊の危険がある実相院客殿の修復費用勧進のため、実相院再興を目的に始まったチャリティ事業